周遊道路における五月の雪は珍しくありませんが、殆ど積もらず、翌日には跡形もなく溶けてしまいます。 しかし、今年は例年とは陽気が違うように思えます。

今年(2014年)は四月中旬になっても周遊道路のそこここに雪が残っています。
写真のような谷間を広く埋める残雪は中腹より上にしか見られませんが、沿道の至る所に積み上げられた除雪の山は、その殆どが未だに人の背丈ほどもあります。
地球は本当にメディアで騒がれるほど顕著に温暖化しているのでしょうか?
温暖化の具体的な影響として日本で報道されている以下のような事象と予測は、多くの専門家、識者によって疑問視されています。
温度計が発明されてから150年の間に0.7度ほど上昇しているというデータはあるものの、陸地の、それも都市部に測定地点が集中していて、かなりのバイアスが掛かっていると多くの学者が指摘している。
衛星から撮った東アジアの夜景が初めてテレビに流れたのは四十年以上前だと思います。(以来、何度も同様の映像を目にしています。)
周辺は真っ暗なのに、日本列島だけが切り抜いたように輝いていました。これには衝撃を受けました。
電灯から放たれるエネルギーの内、光が占める割合は恐らく20%程でしょう。残りは熱です。さらに、自動車や冷暖房機など光を放たない熱源も存在します。
昼間の経済活動は夜とは比べ物にならず、日本列島全体が都市熱の坩堝と化すに違いありません。
現在は周辺の国々も日本と同じような状況になっているでしょう。
ここ十数年ほどの夏の暑さはヒートアイランド現象だという説に私は「票」を投じます。
写真−2014年四月十五日撮影
'14年11月下旬から12月上旬にかけて、この時期としては希な強い寒気団が日本列島を覆っていて、太平洋側にも雪を降らしています。
日本海側では大雪になっていますが、これにも地球温暖化が絡んでいるという解説がTVで何度か流れました。
つまり、地球温暖化のせいで冬にも関わらず、海水温が高いため、海水が多量に蒸散して広い範囲を覆う雲となり、これが大雪をもたらした。
この説明は片手落ちです。
海水温の高さを強調するために、寒気団の影響を意図的に軽く扱っています。
それとも、寒波も地球温暖化が原因だとでも言うのでしょうか。
この理屈は極地の氷についてこそ当てはまります。温暖化のために海からの蒸発量が増え⇒雪も増え⇒降り積もった雪が凍って、また雲になる前の水蒸気が直接、既存の氷に付着して⇒氷が増える。地球全体が多少温暖化しても、冬の極地は零下だからです。
しかし、11月下旬の太平洋側では、降れば普通は雨でしょう。海洋からの蒸発量が増えるほどの高温ならなおさらのはずです。
海面近くと雲の高度とでは温度を支配する要素の塩梅が異なり関連は薄いと温暖化肯定派の方は仰るかもしれません。
繰り返し問いたい。海水温が高いときでさえ上空が充分に低温なのであれば、なぜ?11月の日本の太平洋岸において、降れば殆どが雪ではなく雨なのか?
そういえば、「高緯度地方での海水蒸散が増えて、それが偏西風の軌道を低緯度方向に押し下げている」という解説をテレビで聞きました。
ということは、逆向きの要素は存在しない、つまり、低緯度地方では海水の蒸散は増えないことになります。
低緯度地方での蒸散量も増えれば、高緯度地方のそれと相殺されるはずだからです。
温度の海水の蒸散量に与える影響は高温側で対数圧縮が掛かるとでも言うのでしょうか?
一部の氷床や氷河が溶けているのは確からしいので、程度はともかく、温暖化は事実のようです。しかし、犯人は二酸化炭素でしょうか?
今年(2014年)の初め(確か1月27日)のTVタックルで、お天気キャスターの森田さんが、二酸化炭素冤罪説を唱える丸山教授に噛みついていました。
丸山教授の主張は、「今から八億年前は大気中の二酸化炭素が現在の50倍もあった。」「なのに、地球は赤道まで凍っていた。」「二酸化炭素は地球温暖化に関係ない。」
「もし、地球温暖化が事実ならば、現在の地球大気の僅か0.054%(wikipediaによれば0.039%)に過ぎない二酸化炭素ではなく、もっと大きな影響力を持つ原因があるはずだ。」
これに対して森田さんは、「八億年前と現在では大気の組成が全く違う。例えば酸素は現在より遙かに少なかった。同列には語れない。」
私は丸山教授の主張に分があると思います。
体積比で大気の0.054%しか占めない二酸化炭素が僅かに増えただけで地球の温度が大きく上がるのなら、現在の50倍も存在した二酸化炭素に抗って(あらがって)八億年前の地球を全球凍結するほどの低温にならしめたものは何だったのか?
あれほど激しく反論するのならば、せめて蓋然性を持つ例だけでも示す義務が森田さんにはあったと思います。
森田さんが挙げた酸素には赤外線を吸収する能力がありません。つまり、酸素の割合が小さかった事それ自体は、森田さんの主張にとって寧ろ否定的な意味しか持ちません。
地球温暖化二酸化炭素犯人説冤罪論への反論になっていないどころか肯定しています。
そうではなく、酸素が関わって気温上昇を促す方向に効く仕組みが他にあるのなら、それを示すべきです。
ただし、このやりとりでは丸山教授にも少し狡いところがあると思います。
「温度が低くなると二酸化炭素の温暖化効果が頭打ちになって、全球凍結もの低温下では全く無力である」ことに触れていません。
つまり、二酸化炭素が現在の地球の何十倍あろうと、赤道まで凍てついていた地球の温度には、元々、大きな影響を及ぼし得なかったということです。
ただ、八億年前の更に以前の地球が温暖な気候から寒冷化に向かう課程で、二酸化炭素の温暖化効果が、ある段階までは有効だったはずです。
にもかかわらず、寒冷化に歯止めが掛からず全球凍結にまで至ったということは、二酸化炭素の温暖化効果が「大したことない」証だとは言えそうです。
蛇足-
「大気の組成」より「地球自転軸の傾き」や「地球の公転軌道(太陽と地球の距離)」の方が地球の気候に及ぼす影響は遥かに大きいそうです。
八億年前の低温は、そのせいでしょう。
後者は考えるまでもなく納得がいくのですが、「自転軸の傾き」が、どのような仕組みで地球の温度に影響するのかが分かりません。
外気圏を含む地球全体が受ける太陽からの照射の総量は自転軸の傾きに関りがないと思われるからです。
自転軸の傾きにより「バンアレン帯や電離層」と「太陽の照射」との絡み方が変わるであろうことは想像つきますが、、
ネットを調べても、答えは見つかりませんでした。どなたか、教えてください。
蛇足の蛇足-
「自転軸の傾き度合いの気温に対する影響」また、「公転軌道の膨らみ度合いの影響」、
つまり、自転軸が何度傾いたら、気温に、どの程度の変化をもたらすのか?
公転軌道のどれくらいの膨らみ具合が、気温にどれほどの影響を及ぼすか?
データと呼べそうなものは欠片も見つかりませんでした。
「自転軸の傾き」「公転軌道」と「地球気温」との相関を示す時系列に沿ったグラフでもあれば一目瞭然ですが、メタなデータも見つからないのに、見つかるはずがありません。
意図的に隠されているのかもしれません。
「気づいていないんだから、黙っていよう」みたいな。
ばれると「二酸化炭素犯人説」が崩壊しかねないからです。
これ、Copilotに訊いて、(おおよそ)解りました。
ちなみに、Copilotは酷く間違ったことも言います。例えば、、RFの電圧増幅でグリッドリークにパスコンを抱かせろと言われました。
そんなわけないだろ〜〜〜!。
アミドン/トロイダルコアの型番と最適使用周波数の組み合わせを聞くと、聞くたびに答えが違う。
直流が重畳する箇所に使うローパスフィルターのコイルがアースに落ちている回路図を表示。
かなりメチャクチャです。
Copilotは大量のデータから物事の因果関係を統計処理しているだけです。つまり、理解しているわけではないのでデータの偏りなどは斟酌できないのです。
注意して使わなければなりません。
以下の私見にも怪しいところがあります。Copilot君の投網が全ての要素を網羅できなかったせいで、重要な手掛かりが欠けています。
鍵は「北半球は陸地だらけ」と「氷が鏡」
地軸の傾きが大きくなる⇒
北半球も南半球も、夏が長く日照量が増える。当然、暑さは厳しい。一方、冬も長く日照量が減る。当然、寒さが厳しい。⇒
北半球の冬、(熱容量の小さい)陸地の割合が大きいので、簡単に冷えて広い範囲が凍ってしまう。
「一冬で北半球の広範囲が凍てついてしまう」これが寒冷化の発端。
氷に覆われた北半球に夏が来る、大地という熱容量に乏しい土台に乗った氷が、長く厳しい暑さで溶けてしまうかというと、そうではない。
氷自身が陽の光を反射するからだ。通常、大地は熱を貯め切れず辺りに撒き散らしてしまうが、そもそも、撒き散らす熱の元となる「陽の光の影響」は氷の下の大地に届きもしない。⇒
この融解を妨げる要素が強く働き夏を通っても、氷は溶けきらずに残る。
結果、一年の帳尻は、気温低下。
この低下分は翌年に繰り越され、年々積み増されてゆく。
年を重ねるにつれ、氷は厚くなり、面積も広がる。やがて、赤道まで凍ってしまう。
もし、地球の自転軸の傾きが、ある一定の限度を越えなければ、あるいは、
もし、北半球の海洋面積の割合が、もっと大きければ。(海洋は陸地に比べて熱容量が遥かに大きく、簡単には凍らない)
この二つの条件のうち一つでも満たされれば、全球凍結は起きないそうです。
二つの条件が、そのままでも、他に加わる条件によっては全球凍結は起きないかもしれません。例えば、南半球が全て海洋。
ところで欠けているキーとは何か?
それは二つあります。どちらも解明プロセスのメインスイッチを入れるために大切な鍵です。
ひとつは、太古の地球の地理です。どこにどのような形のどれくらいの大きさの陸地があったのか海洋があったのかわからないのです。
もう一つは、太古の地球の地磁気の傾きです。例えば、全球凍結していた八億年前の地軸の傾きが解っていないのです。
これをCopilot君から聞いたとき、「地軸の傾きと地球気温との関連」をどのような方法で突き止めたのか少し不思議に思いましたが追及はしませんでした。
というのは、アプローチ、プロセスはいろいろあるからです。道は一つではありません。重要と思われるキーがなくても、真理に行きつくことは可能です。科学の世界では普通のことです。
蛇足2-
前世紀半ば過ぎには既に、二酸化炭素が、温室効果において、それまで主な担い手であると信じられてきた水蒸気を上回る要素であることを示す説が報告されていたそうです。
地球温暖化が騒がれ始める遙か前から録りためたデータに基づく、複数の研究者の考察で、集計分析査証の都度、発表もされていたそうです。
これが専門家によって正しいと認知され得るものだとしたら、温暖化二酸化炭素犯人説の決定的な証拠と言えます。
ICPPによる「ホッケースティック」をはじめとする数々の不細工なねつ造は必要なかったことになります。
蛇足2と蛇足3の蛇足-
仮に温暖化の真犯人が二酸化炭素で、且つ、単独犯に近い主犯だと確定してしまうと、温暖化関連の利権を貪る連中にとって、それはそれで具合が悪い。
CO2に絡んで温暖化に関わる他の(二酸化炭素以外の)要素の研究や、「二酸化炭素そのものの削減」以外の対策が殆ど要らなくなる。
つまり、利権のレパートリーが大幅に減ります。
もし、顕著な温暖化が事実で、その原因が二酸化炭素の増加であったとしても、現時点での原発再稼働には私は反対です。
逆に、「原発反対」の立場から「二酸化炭素犯人説」に異を唱えているわけでもありません。
念のため、、
「地球温暖化説」を「脱化石燃料」に導く論理には、胡散臭いものを感じます。
「地球温暖化+二酸化炭素犯人説」は多くの識者が指摘する様に「学術的知見」ではなく、「環境ビジネスという利権」や「化石燃料をはじめとする資源の消費に関する先進国のアドバンテージ」を肯(うべな)うための「プロパガンダ」であると、私も思います。
ちなみに、私が原子力発電に反対する理由は主に二つ、、
これについては但し書きが要ります。
原発反対派は関わる技術や研究までをも全否定します。
反対の根拠は理屈ではなく憎しみのようにさえ見えます。
確かに現状の技術で電力供給を原子力発電に委ねるのは危険だと思います。
しかし、安全さえ確保できれば、この大出力の発電手段は社会を支える主要な柱になりえます。
就中、化石燃料枯渇後のポスト火力発電は原発しかありません。
太陽光や風力、水力等による、自然エネルギー由来の発電は、化石燃料がないと発電施設の更新が不可能だからです。
正直なところ、原発も現状では建設に化石燃料が必須です。しかし、自然エネルギー由来発電施設と違って、自己増殖のための技術的な要件は既に満たしていて、今後の産業構造の変革次第だと見られています。
その上で、安全に対する意識の根本的な変革が原発推進の絶対条件です。
東日本大震災で福島原発がメルトダウンに至る大事故を起こしました。原因は補助電源が全て失われたことです。
その非常用電源たるや、過去の津波でも覆わたであろう高さに設置されていました。(呆れたことに地下一階、床面海抜0から4m)
「滅多に起きない津波だから、高所設置は安全対策として過剰品位だ」ということでしょう。
つまり、分かっていたんですよね、「過去の津波でも覆われたであろう高さであること」を
例えば、20Mの高さに設置しておけば、津波に洗われることはなかったのではありませんか?
充分に解っていて、左程の困難もなく避け得たリスクを、多分、費用削減のために確信的に看過した、この罪は大きいと思います。
私が知りえた範囲で、もう少し詳しく書きます。
福島第一原発の敷地標高10m。設計時の想定最高津波高6.1m。だから大丈夫?
ところが、非常用電源は建屋地下一階に設置されていた。地下一階の床面、海抜0mから4m。
それでも、建屋が地下部分も含めて水蜜なら問題はなかったかもしれない。
しかし、実際には、建屋の外回り一階床面より低い個所に建屋内に通じる穴や隙間が沢山あった。
具体的には、- タービン建屋の壁- ケーブル貫通部- 配管の穴- 通気口- ドア- 排水溝- ピット(機器用の穴)
他にも水の侵入経路があった、- 建屋の側面- 地下階の外壁- ケーブルダクト- ピット- 排水路
津波の高さが設計時の想定の6.1mより低くても、これらの穴や隙間を通って地下に流れ込んだでしょう。
実際には15mもあったのでひとたまりもなかった。
この不細工な設計は一体、何でしょう?
本当に、原子力という最先端のテクノロジーに携わる技術者の成した業ですか?
そこまでして進歩は必要か?
必要です。
今でも、世界には貧困に苦しむ夥しい数の命があります。
つい、この間まで、日本もそうだったのです。
これは、限かれたリソースが全ての人に行き渡らないためで、物が足りれば解決します。奪い合うこともなくなります。
道は世の中の進歩です。技術の進歩と、それを人々の暮らしに生かす心の進歩です。
地球上の全ての人が幸せになる道は人間社会全般にわたる進歩しかないと思います。
そこまでして、幸せは必要か?
必要です。
人は互いに助け合う生き物です。
その指し示す先には「(他)人の幸せ」があります。
人は人を幸せにするために生き、そして、人の幸せな様を見て自らも幸せを感じる生き物なのです。
重要な注
私は一介の「町の花屋」であって、環境問題と、それにまつわる諸々について専門に学んだわけではもちろんありません。
ですから、この稿の内容は「主張」でも「意見」でもなく、ただの「感想」に過ぎないとご理解下さい。
さして重要ではない注
私はコテコテの二酸化炭素犯人説否定派ではありません。強いて言えば懐疑派です。
メディアで接するGlobalWarmingについての解説や観測データーは様々です。
それらの中から自らの信条に都合の悪い要素を裏付けもなく排除するとしたら、それは詐欺か若しくは信心です。
「詐欺」は論外として、「信心」に逃げるのは卑怯です。
まず電力
太陽光太陽光は極めて薄いエネルギーです。実用に供するには、広ーい場所が必要です。
人の生活に近い土地は価格が高くて採算が取れないので、原野を切り開いたり森林を伐採して用地を手当てします。
これってエコでしょうか?
太陽光パネルの陰になる場所には、それまでは、お日様が当たっていた。
日当たりが日陰になる。何か起きそうな気がしませんか?
太陽光発電が本当に環境に優しいのか?原子力発電と比べてみましょう。
柏崎刈谷発電所には7基の原子炉があり総出力は821万2千KWです。
これを太陽光発電で賄うにはどうしたらよいかというと、、どえらいことになります!
東京での一年間の面積当たり太陽光入射量は1200kWh/平米です。
365×24=8760で割ると、約137W。
821万2千KWを137Wで割って、5994万1605平米。約59.94平方Km。
大田区の面積(59.46平方Km)とほぼ同じです。
つまり、大田区全体を太陽光パネルで覆わないと柏崎刈谷原子力発電所と同等の出力を得られないということです。
しかも、これは隙間なくパネルを敷き詰めたとしての値です。
建設時や保守運営を考えると間隔を開けることが避けられず、少なくとも二割増しの面積が必要でしょう。
さらに!太陽光パネルの効率は20%しかありません。
平米137ワットの太陽光エネルギーを100%変換した場合と同等の発電量を得るには五倍の面積=5平米が必要です。
つまり、太陽光発電で柏崎刈谷発電所と同じ発電量を得るには、、大田区の六倍(5×1.2)の面積が必要なのです。
これは実に東京23区総面積(626.7平方Km)の半分近くに相当する広さです。
断言します。太陽光発電は究極の環境破壊です。
公表されているデータと四則演算だけで暴ける「太陽光発電は環境に優しいという嘘」に多くの人が騙されいる。不思議でなりません。
太陽光発電の宿命的な欠陥がもう一つ。
それは「お日様が照らないと発電しない」ことです。
バックアップ電源が必要です。
バックアップとはいえ可成り高い能力が求められます。
まず、夜です。太陽光発電の出力はゼロ。バックアップ電源が100%を受け持たなければなりません。
日暮れから22時頃まではピーク時(13時〜14時)の6〜7割の電力需要があり、深夜でも5割程度にしか下がりません。思いの外ハードです。
雨天時には発電能力が晴天時の10%まで落ちることもあり、残り90%をバックアップが補わなければなりません。
すなわち、バックアップ電源には太陽光発電システム本体と同程度の能力が必要です。
お気付きでしょう。
禅問答みたいですが、電力供給の観点のみに絞れば、太陽光発電システム本体は無くてもよいのです。
元々、太陽光発電システムの設備利用率が低いため総電力量の大半をバックアップ電源が担っているのですから、本体のお仕事もろとも全てお任せすればよいではありませんか。
二つのシステムを組み合わせて交互に遣り繰りしながら仕事をさせるより、遙かにスマートです。
政府は再生可能エネルギーの割合を40%にすると言っています。100%と言っている政治家もいるようです。
再エネ比率を100%にすると、それに加えて100%分の非再エネによるバックアップ電源が必要になります。
火力発電はCO2を大量に排出するから、太陽光発電に変えよう。そのためには火力発電所を新設しなければならない。
一体、、何がやりたいんですか?
まさに「愚の骨頂」です。
注−スマートという単語で思い出しました。
電力網はスマートグリッドで制御されていると思います。
ネットワーク中のどこから供給されても太陽光発電システムで不足する電力を補う分のリソースなら、それがバックアップ電源です。
太陽光と同じく、設営にあたって環境の破壊が避けられません。
風車の風下は、そよ風になるか、風車が理想的な仕事をすれば無風になるでしょう。
周辺環境、特に生態系に何らかの、それも、良からぬ影響を必ず与えます。
動植物の、それまで培ってきた適化が無為になります。
この項は書きかけです。
次に書くことは「自然エネルギー否定派」にとってはマイナスの要素です。(実はマイナスではないのですが、それは追々解ります)
既述のとおり、否定的要素を無視するのは「詐欺」か「信心」の類で、アンフェアだと私は考えます。
太陽光発電施設にせよ、風力発電設備にせよ、建設やインフラ整備に石油が使われる。だから、エコじゃない。
この理屈は「自然エネルギー否定」の論拠にはなりません。と最近まで思っていました。
石油ではなく自然エネルギーで、それらを行えばいいのです。と最近まで思っていました。
ただし、100%置き換えが可能ならという条件がつきます。と今でも思っています。
部品、部材の製造、建設ツールや輸送手段の動力を電力で代替えするのは無理だと「自然エネルギー否定派」の方々は仰います。
このような話になると、私は何時も1970年代のコンピューター周辺事情を思い出します。
当時もITの世界は時進日歩でした。メモリーの容量やCPUクロックの速度の標準が年に倍にもなるのがふつうでした。
短期間に新型に買い替える財力を持たない貧乏なコンピューターホビースト達は
「どうせ最先端機器でも高画素のイメージを扱うような、重い仕事はできないんだから」
「工夫と遣り繰りで細いリソースを骨までしゃぶるさ」などと開き直って、動画などは端から諦めていました。
ハードのパフォ−マンスが、当時の何百万倍になった今日、そのようなことを言う人はいません。
自然エネルギーにも同じ事がいえると、実は最近まで思っていました。
技術革新が進んで、例えば、ソーラーパネルの発電効率が良くなれば、環境破壊に目をつぶる限り、石油エネルギーに換わる発電手段になり得ると思っていました。
ところが、どうやら、これは無理らしいのです。
その根拠は、所謂再エネと呼ばれる発電手段が、自己増殖能力を持たないからです。つまり、例えば、将来の進歩を遂げた太陽光パネルでも、一枚が、一枚の太陽光パネルを作る余裕はないであろうといわれています。
正確には、電力量(WH)の問題だけではなく、太陽光パネルの製造には「電力では実現不可能な」、若しくは、「電力では壊滅的に非効率な」、多くの工業プルセスが必要だからです。
これについては、YOUTUBEチャンネル「サイエンスライター北村雄一の地球放送」の「再エネはなぜ失敗した? エントロピー増大の法則に流された太陽電池 地球の歴史 その123」をご覧ください。解りやすく解説されています。
繰り返しになりますが、自然エネルギー由来発電施設の建設やインフラ整備に関わるコストを、その「べき分布」の裾まで自然エネルギーで賄うのは不可能なのです。足りない分は化石燃料で補わなければなりません。
化石燃料を費やさずには世代を繋げられない発電手段。これこそが太陽光発電や風力発電、地熱発電など、いわゆる再生可能エネルギーの正体です。
つまり、再エネ否定派の主張「自然エネルギー発電施設の建設やインフラ整備の全てを自然エネルギーで賄うのは無理だ」
正に、その通りです。
再エネと並んでエコの旗頭であるEV。
結論から言ってしまうと「全然ダメ」です。
竹田恒泰さんがYouTubeでよく仰っておられます。軸を二度回している。効率の良いわけがない。
実は、ここから攻めるとEVは結構しぶといんです。
化石燃料で蒸気機関を動かして電気を作る-変電する-電線で送る-充電器で変電しバッテリーを充電-バッテリー駆動でモーターを回す。
たくさんのステップを踏むので損失が嵩み効率が悪いはずだと誰もが思うでしょう。私も思いました。
ところが、「モーター君」がスーパースターで、数々のデメリットを埋めるどころか、高額のお釣りまで貰ってしまうのです。
ガソリンエンジンの効率が30%位しかないのに、モーターは90%もあるからです。(ただし、実走行効率は60%から70%)
これは、ガソリン車に対するEVの、ほぼ唯一のアドヴァンテージです。
でも安心?してください。致命的な欠点が山のようにあります。
*まず、エネルギー密度の差です。
バッテリーのエネルギー密度は重さを基準にするとガソリンの1/50〜1/80です。
間を取って1/65だとして、同じ車重のガソリン車とEVを比較すると、
ガソリンの比重は0.75。燃費がリッター12Kmのガソリン車は、つまり、750gのガソリンで12Km走るということですが、
750g相当のリチウムイオンバッテリーでEV車が何キロ走るかといえば、12/65=0.185Km。185m。
ただし、モーターの効率はガソリンエンジンの約2.5倍なので、185の2.5倍で462.5mです。
これはガソリン車の25分の1にも届ない「絶望的」な値です。
この差を埋めようとすれば大きなバッテリーを積むしかありませんが、当然のことながら「絶望的」な車重になります。
それだけでは済みません。重い車体を支え制御するためサスペンションやブレーキの強化が必要。
タイヤもゴツクしなければならず、フレームやシャーシも同様です。冷却系も強化しなければならない。どんどん重くなります。
重くなった車体でガソリン車並みに走るためバッテリーを増やすと同じ循環をもう一回りです。
重量スパイラル。これが、EVの宿命的かつ致命的欠陥です。
ちなみに、上述のケースを、もう少し掘り下げてみると、
ガソリン車が1Lのガソリンで走る距離12KmをEVで走るために、どれくらいの重さのバッテリーが必要かといえば、
750gの65倍/2.5、つまり48750g/2.5=19500g=19.5Kg。
さらに、ガソリン車のタンク容量が40Lだとすると、満タンで40の12倍=480Km走れることになります。
同じ距離をEVで走るためのバッテリー重量は48.75の40倍/2.5=780Kg
一方、ガソリンの重さは満タンで750gの40倍=30Kg+ガソリンタンクの重さ10Kg=40Kgです。
モータの能率が良いので、バッテリーの重量を現在の1/3にできたら、EVそのもののデメリットは解消されるという希望的観測があります。
しかし、常識的に考えて25:1の差が8:1になったところで、総合力においてEVがガソリン車に追いつくことはないでしょう。
第一、そこまで大幅な軽量化は不可能であろうと多くの専門家が認めています。
実はガソリン車には走るうちにガソリンが減ってゆく(車重が軽くなる)という「大したことないメリット(草)」もあります。
EVのバッテリーは残量が減っても内部の化学的な状態が変わるだけで重さが減るわけではありません。
*レアメタルがとんでもなく大量に必要
たとえバッテリーの軽量化が実現したとしても「EVのデメリットは払拭され」ません。
作るのに「レアメタル」が大量に必要だからです。(ガソリン車の数倍)
- リチウム- ニッケル- コバルト- マンガン- グラファイト
これらのレアメタルを含む鉱物は産地が限られているうえ地中深くにあり、採掘そのものが困難です。
苦労して掘り出しても、そのまま材料として使えるわけではもちろんありません。
抽出、精製などの手間をかけなければなりませんが、これが厄介なのです。
精製に伴って様々な汚染物質が発生します。
放射性物質(トリウム、ウランなど)、酸性廃液(硫酸、塩酸、硝酸)、重金属(カドニューム、鉛、ヒ素、水銀など)、粉塵
これらの汚染物質が環境に漏れ出さないように日本など先進国では厳しい環境基準が定められ運用されています。
そのため、国内で精製を行うとコストが掛かりすぎて採算が取れません。
それで、日本に限らず、もちろん自国中国も含む世界中の自動車メーカーが中国から買っています。安いからです。
何故安いのか?人件費が安い?それもありますが。
基準が緩い?、、少なくとも表向きには緩くありません。
昔は緩かったのですが最近改製されて先進国並みの厳しさに変わりました。
元より、これは世界からの批判を躱すためのポーズ、得意の上辺だけテンプレートです。無論、小学生も騙せません。
当然のことながら決まりは守られていません。国も見て見ぬふり。いや、そもそも、見ていません。
だから、安くできるのです。
その結果、何が起こっているか?
(1)放射性廃棄物の蓄積-レアメタル鉱石にはトリウム、ウランが含まれている、精製後に放射性スラッジが大量に残る。
内モンゴル・包頭では黒い廃液湖が形成され、周辺の農地、地下水が汚染。
(2)酸性廃液の流出-精製に使う硫酸・塩酸が地下水・河川に流入し、農地が不毛化。
(3)重金属汚染-カドミウム・鉛・ヒ素などが土壌に蓄積し、住民の健康被害(がん・奇形)が報告されている。
(4)大気汚染(PM2.5)-採掘・粉砕工程で大量の粉塵が発生し、広範囲に飛散。
中国の二大大河、揚子江と黄河にも汚染物質が流れ出しているらしい。
このレアメタル精製に伴う環境汚染については、別ページに詳しく書くつもりです。現在作成中。
これ、日本の大手メディアで報道されていますかね〜。少なくとも私は見たことも聞いたこともありません。
日本では、EVを買うと国から補助金がでます。東京都民なら東京都からも貰えます。
日本国と東京都は補助金を出して中国国土の広範囲に及ぶ環境汚染を助長しています。
世界の国々は「環境汚染の外部化」という「おまけ付き」でレアメタルを中国から安く買っているのです。
言うまでもなく中国も覚悟のうえです。国土が人の住めないほどに汚染されても儲かりさえすればよいのです。
これ、このまま続いていいのでしょうか?
元はと言えば「エコのため」なのに、ベクトルが真逆を向いているとは思いませんか?
*次に、恐ろしいほど電気を作らなければならないという大大大問題があります。
世界中の自動車を全てEVに置き換えたらどれくらいの電気が必要になるか?
ざっくり結論を書くと、原発300基分です。
2023年のデータですが、EVの割合は3%に過ぎないので、300基の97%、つまり、291基新設しなければなりません。
EVだけではなく、世の中の動力を全て電気で賄おうとすると、原発千二百基分だそうです。
もし内燃機関が本当に環境に悪いのなら、自動車以外の動力も全て電気で代替えしなければなりません。原発千二百基分がマストです。
膨大な数の発電所新規建設は環境にとっても社会にとっても途轍もなく重い負荷です。
断言します。EVを含む的外れなエコ指向は、この十年で人類の終末時計を四半世紀進めました。狂乱はこの辺にしておきませんか?
小学校五年の春、クラスに二人の少年が編入されてきました。
二人の親は国鉄職員で、共に小学校近くの国鉄官舎に九州から家族で引越してきたのです。
OとSでした。九州時代からの友達同士だったようです。
Oは才気煥発で学業も優秀、正義感の強い少年でした。Sは大人しくて優しい、感じの良い少年でした。
二学期の初めに級長選挙がありました。
立候補だったか、生徒たちの推薦だったかは、忘れましたが、以前から級長を務めていたKと、編入三か月にして皆の信頼を集めていたOとの決選投票になりました。
Oの真面目な性格は女子に人気がありました。片やKは、所謂、要領の良い奴で男子に人気がありました。
投票は、一人ずつ起立して自分の支持する者の名前を言う、言わば記名投票の口頭形で行われました。
ここで、おかしなことが起きました。
私たちのクラスは男子が女子より五人多かったのですが、、、
女子は全員、Oに票を入れました。O自身と、友達のSも、Oに入れました。
一方、私を除き、且つ、O、S、以外の男子は全員、Kに票を投じました。
お判りでしょうか、OとKの獲得票数は、この時点で同数です。つまり、 結果は私次第となったのです。
実際には、私の起立順は全体の中頃だったので、全員(私も含む)が「キーは中森が握っていた」ことを認識したのは最後の一人が投票した後ですが。
級長はOに決まりました。
私がOに入れたのは、言うまでもなく、彼が、より級長に相応しく、クラスにとっても良いと思ったからです。
「お前のせいで、Kは級長になれなかった」と男子の皆に、散々、小突き回されましたが、自分の選択を後悔したことは今に至るまで一度もありません。
「愛国心」を口にすれば、必ず、「お前は右翼か!」という声が方々から聞こえてきます。
国民の祝日に日の丸でも立てようものなら、周囲から白い目で見られます。
ひと昔半前までは、私自身も、似通った心象を抱いていました。
生まれてこの方60年以上「愛国=軍国主義=右翼」の空気の中で過ごしてきたからでしょう。
しかし、世紀が変わって暫くたったころ、「どうしても、これはオカシイ」と思うようになりました。
それ以前も、「原爆の記念碑に記された主語のない文言」、「条文を読むこともせず徒党を組んで安保(注)に反対する大勢の大学生たち」、「台湾を袖にして中国と手を結ぶ国家体制」等、頭の中で折り合いの付かない事案は多々ありました。
割り切れぬまま、これが日本の中道であり、正しいに決まっていると、自らを諭してきましたが、
世紀末を五年も過ぎたころ、ネットに溢れる情報を否応もなく目にするようになって、自分を誤魔化しきれなくなりました。
日本人の多くが真の意味での「愛国心」を持たなければ、この国に明るい未来はない、と考えるようになったのです。
自分の一番身近には両親がいます。配偶者がいます、子供がいます。兄弟がいます。祖父母がいます。叔父、叔母、甥、姪、従妹。
縁者の繋がりを辿れば日本全国に広がります。
右隣、左隣、向かい、はす向かい、裏。その、さらに隣、その、裏。広がりはコミュニティーとなり、接したコミュニティーと繋がります。
村であったり町であったり、それが寄り集まって、郡となり市となり、さらに上の単位である都道府県となり、日本全国に広がります。
遺伝子の共通部分を多く持ち、同じ言葉を話し、風土と歴史と文化を共有し、共通の利害を持つ。その集団の住む総括が国です。
自身や深いきずなで結ばれた親兄弟や隣人の延長である、この国を、なぜ、愛してはいけないのか、どうしてもわかりません。
注-これは新日米安保条約です。
1960年に調印、発効しました。
大学生を主とした大規模な反対運動が起きました。デモ中に死者が出たくらいです。
この新安保が日本にとって悪くはないと、当時、小学生だった私に教えてくれたのは母方の祖母でした。
新聞に載った条文を隅々まで読んで、旧安保より遥かに「まし」だと思ったそうです。
ちなみに、この祖母は小学校にさえ行っていません。家が貧しかったからです。
しかし、漢字を含む読み書きや四則演算は正確にできました。
祖母の祖父、つまり、私にとっての高祖父は元旗本でお小人目付を務めていた人だそうです。(明治維新で没落した)
その息子である曽祖父も当時としては高い教育を受けた人なのでしょう。アルファベットの読み書きさえできたそうです。
祖母は学校には行っていなくても、その曽祖父から読み書きそろばん位は教わっていたのだと思います。
しかし、それでも学校教育を一切受けていない明治生まれの老人です。
その祖母が隅々まで読んだ条文を、反対運動に参加した大学生の殆どが読んでいなかった。
そのことが、後になって明らかになりました。あの鳥越俊太郎さんも全く読んでいなかったと告白しています。
読みもせずに反対していたのです!!読みもせずに反対していたのです!!!読みもせずに反対していたのです!!!!
「あまねく国々の人々が互いに理解し尊重しあう争いのない世界」
どこかがこそばゆくなりそうな「桃源郷」ですが、この理想に異議はありません。
群れを作り、他の群れと対立することによって仲間との「えにし」が生まれ、それが個々の生きる「よすが」となる。
これが人間の宿命ですが、不断の努力を怠らなければ、「対立」が、いつか「融和」に変わると信じます。
しかし、その努力が実を結ぶのは、遠い遠い未来の話です。
日本が仲良くしたくても、隣の国が仲良くしたがらないからです。これが、目の前の現実です。
フィリピンから1992年に米軍の撤退が完了して以降、虎視眈々とチャンスを窺っていた日本の隣国は、災害救援でフィリピン軍が留守にした南沙諸島の島(フィリピンが実効支配していた)を盗んでしまいました。
そんな国の漁船(まがい)が大挙して連日のように尖閣諸島の日本の領海を侵犯しています。
海警局の船舶も侵犯しています。
既存メディアは殆ど報道しませんが、ネットには詳しく載っています。
1969年の国連による調査で尖閣諸島周辺の東シナ海海底に石油埋蔵の可能性が指摘されると、急に、この海域の領有を主張するようになった。
人民日報などで、台湾はもちろん尖閣諸島ばかりか沖縄本島ですら自国の領土であると主張している。
ところで、なぜ、この100年も遅れてやってきた覇権主義国家は尖閣諸島の周辺をウロチョロするだけで手出しをしてこないのでしょうか?
理由は簡単です。
日米安保があり、基地から米軍が目を光らせています。憲法九条で手かせ足かせをされてはいるものの自衛隊もいます。
もし、フィリピンのように米軍が撤退し、憲法違反を理由に自衛隊がなくなりでもすれば、この国は、その日のうちに喉から手が出るほど欲しい尖閣諸島を奪いに来るでしょう。
憲法九条を守っていれば平和が保たれると仰る皆さんは「話」合いで解決すると主張しますが、それこそ「話」になりません。
必要なのは「憲法九条」ではなく「抑止力」なのです。
もし、この後ろ盾なしに話し合う姿勢を貫けば日本にとっての「争いのない世界」は永遠に訪れません。
それを享受する日本という国自体が無くなってしまうからです。
難しい話ではない。
事態の経緯は明確だし、対処法の選択肢も限られています。
日本が実効支配している(つまり、日本の領土として認められている)尖閣諸島を隣国が盗もうとしている。
国際的に禁じられた力による現状変更を企んでいる。
南沙諸島の島をフィリピンから盗んだこの国が「話し合い」になど応じるはずがない。
況や国際紛争平和的処理条約を遵守する気などあるわけがない。
だとしたら、力は力で抑止するしかない。
抑止力は二つ。
一つは同盟です。
戦後70年余も平和を保てたのは日米安保のおかげです。断じて憲法九条の御利益ではありません。
しかし、日米安保は実質的に片条約です。米国は日本を助けてくれるけれど、日本は憲法九条の縛りで米国を助けられないのですから。
となると、日本有事の際に、米国が集団的自衛権を実効的に行使してくれるかは疑問です。
もう一つは自前の防衛力です。
うまくいくかどうかは別として、ほかに選択肢はありません。
軍拡が必要だと思います。
核武装すら必要だと考えます。
「隣国もバカではないから、闇雲に攻めてきたりはしない」と「ある傾向の信条をお持ちの皆さん」は仰います。
ところが、我が国の僅かばかりの防衛費増額を「侵略戦争に繋がるから許されない」と同じ口で語るのです。
私は問いたい。これは「矛盾していませんか?」
隣国は南沙諸島の島をフィリピンから盗んでしまいました。
この暴挙は世界中から囂々たる非難を浴びました。
隣国は、また、尖閣諸島も盗むべく、連日、多数の船舶で、領海侵犯を繰り返しています。
一方で、平和を尊び信義を重んじる日本は、戦後70年余「専守防衛」を逸脱する行為を一切していません。
隣国の強大な軍事力への、せめてもの備えとして防御壁を少しだけ高く丈夫にしたに過ぎません。
つまり、現実は「ある傾向の信条をお持ちの皆さん」の言い分の真逆です。
私は問いたい「あなた方、ノウミソはあるのですか?」
繰り返します。「軍拡は必要です」
核武装無効論について
「核を使用すれば相手も報復として核を使い、当事国は共倒れとなり、破壊と汚染は全世界に及び人類が滅びる恐れさえある」だから「核は使えず、従って、抑止力にならない」
頭が変になりそうです。
何故って、、
この理屈は、敵対する相手国が全人類への人道的配慮を含む想定通りの判断を下すことを信じ、それを意思決定の前提としなければ成立しないからです。
「我国が通常兵器で攻撃しても、敵国が核兵器で反撃してくることはない」、「なぜならば、それは我が国の核兵器使用を誘引し」、「自国の破滅にも繋がるからだ」、「この賢明な判断を敵国が下すことを我が国は疑わない」、「したがって攻撃を敢行する」ということですよね?
これは殆ど「幻想」です。
だって、戦争ですよ。
権謀術数の限りを尽くして切り合うのが戦争ですよ。
スポーツではあるまいし、実質的に禁じ手は皆無に等しい。
始まってしまえば、互いに「何をやらかすか分かったもんじゃない」それが戦争ですよ。
生物兵器や化学兵器を使ってはいけないとか、クラスター爆弾の使用を禁じるとか、国際的な取り決めはあります。
しかし、深刻な非勢に陥ったら、あるいは、大きなリソースを費やさずに戦果を上げなければならない切実な事情が生じたとしたら、その国はこれを律儀に守るでしょうか。
ましてや、核を保有している国ならば、禁止されていない核攻撃行使が優先度の高い選択肢になるのではないでしょうか。
(核兵器保有国は核兵器禁止条約に署名していない。)
例えば、半島高緯度地方の某国の最高権力者なら「敵を道連れにしてやる」と考えたとしても、不思議ではありません。
そもそも核兵器は報復の手段です。以て敵の攻撃を抑止する。それが保有の目的です。
その目的に沿って、おそらく常に待機状態で保持しているであろう核兵器を「敵が使用することは100%ない」と考えることの方がおかしいと思います。
正確には、「核兵器による報復を敵は決して選択しない」と信じることがおかしいのです。
隣国はPH国の島を盗んでしまいました。もし、PH国が核兵器保有国だったら盗まなかったでしょう。
R国はU国に侵攻しました。もし、U国が核保有国だったら侵攻しなかったでしょう。
相手の核兵器による報復を恐れて先攻を止(とど)まる。自国が核兵器を保有していても、この構図は変わらないと思われます。
「核兵器による戦争抑止力を無効」とする、この理屈は「戦争に発展しそうなほど、いがみ合っている相手国を信頼する」というあり得ない前提に立った「幻想」です。
「軍拡が必要です」
ただし、、
人間は助け合って生きてきました。そのおかげで、太古から今まで命を繋いでこれました。
しかし、一方で戦い続けてもきました。我々は、その戦いの勝ち残りでもあります。
DNAに組み込まれた「闘争本能」を、特に男性は多かれ少なかれ内包しています。
だから、戦いたがります、(戦うために)武器を持ちたがります。
事件が起こるたびに「銃が悪いのではなく、その銃で事件を起こす人間が悪いのだ」という見苦しくも恥知らずな言い訳をつけて、(事件を起こす悪い人間の規制が不充分なのに)銃の規制を進めない大国もあります。
持つだけではなく、理由をこじつけてでも「とにかく、ぶっ放したい」という衝動に駆られる者も、かなりの割合でいると思います。
いや、武器を手にすれば誰もが使いたいという欲望を大なり小なり持つのではないでしょうか。
これが「大問題」です。
軍備は「ネガティヴリスト」でなければ使い物にならないと多くの識者が指摘しています。
しかし、その禁止リストの最優先項目として野放図に「ぶっ放す」のを止めなければなりません。
高度な訓練と教育を受けた優秀な自衛官でも、極限状態なら「ネガティヴリストに抵触するトリガ」を引くかもしれません。
不正な使用を監視し阻止する確実で厳格で遺漏のない規則と仕組みが絶対に必要です。
現場での判断については、もちろん、上層部による作戦方針決定の場においても適用されるものでなければなりません。
繰り返しになりますが、、
理由などはどうでもよく、ただ、他と争いたい傷つけたいという乱暴者が世の中には一定の割合で存在します。
これは悲しいことですが事実です。自衛官の中に紛れ込んでいないという100%の保証はありません。
ですから、徹底しなければなりません。
「軍拡の目的は攻めることではなく、攻めさせないことである」と
私が利用している、ある施設の待合室に憲法九条賛美の貼り紙が貼られています。
四方の壁だけでは足らず、二か所のパーティションにも、時には入口のサッシ戸にも、貼られています。
内容は大方、「日本国憲法は平和憲法であり、とりわけ九条を遵守していれば戦争には巻き込まれない」
これを書いて貼った人は、本当に、これを信じているのでしょうか?不思議でなりません。
どれ位、不思議か、と言えば、
夜空を見上げながら、「雲一つない晴天だね、お日様が眩しい」と言っているような、それ位、不思議です。
これは、もはや信心です。いや、むしろ、信心であって欲しいと思います。
信心ではなく思想だというのならば、行く着く先は決まっていて、それを確信的に受け入れることだからです。
つまり、一切、抗わず、要求される国土を全て差し出して、チベットやウイグルや香港で行われているような弾圧や同化政策を甘受することです。
国連の調査で尖閣諸島周辺の海底に石油埋蔵の可能性が指摘された途端に、隣国が尖閣諸島の領有を主張し始めた。
これは、嘘でしょうか?
隣国の漁船が連日、大挙して尖閣諸島周辺の日本の領海を侵犯している。同国の海警局の船舶も侵犯してる。
これは、嘘でしょうか?
ウイグルやチベットや香港で弾圧や同化政策が行われている。
これも、嘘でしょうか?
上に述べたことが嘘ではなく全て事実であると信じている私は「ネトウヨ」でしょうか?
気になって仕方がありません。
日本国憲法
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
憲法九条です。
自衛隊は、どう見ても戦力(戦う能力)そのものです。だとしたら、
九条を、どう読んでも自衛隊は違憲です。詭弁の弄しようがありません。ハッキリ書いてあります。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」
2018年-自衛隊に対する良い印象を持っている人が89.8%、悪い印象を持っている人が5.6%、
2022年-自衛隊の必要性について「ある程度必要」と回答した人が51.3%、「必要ない」と回答した人が31.1%、
内閣府が2018年と2022年に行った世論調査です。
この調査の結果は自衛隊に関して「憲法九条が日本の現状に則していない」と「過半数の人々が認めている」ことを示しています。
憲法が発布した70数年前と今とでは日本も日本を取り巻く情勢も大きく変わっています。
それに合わて憲法も変えなければならない、極く自然なことです。
(本来ならば自衛隊設立時の1954年に変えるべきでした。)
国を守る戦力が違憲だなんて、そんな馬鹿なことがあっていい訳がありません。
憲法改正の回数
アメリカ-6回、フランスー24回、ドイツ-57回、イタリア-15回、カナダ-18回、中国-4回、メキシコ-408回、スイス-140回、インド-91回、
韓国-0回 新憲法制定後、改正はない。ただし、第二次大戦後5回の全面改正(新憲法の制定)がなされている。
世の移ろいに置き去りにされて機能不全に陥らないように、適宜、改正してゆく。それが世界の常識です。
特に原則に関わる基本的な部分の齟齬は罪深く国を滅ぼしかねません。
そこに一度の是正も加えられていない日本。なんとも異様です。
日本国憲法も現状に則して改正すべきであると思う私は「ネトウヨ」でしょうか?
気になって仕方がありません。
永世中立国スイスが防衛のために、どのような体制を敷いているかご存じでしょうか?
まず、徴兵制が採られています。
有事の際には6時間以内に30万から40万の兵力を動員できる態勢が整っています。
スイスの人口840万人、(40万/840万)。日本の自衛隊は30万強、(30万余/12000万)。
一家に一丁、銃が支給されます。これはアメリカのように「自分の銃」ではなく「国防のための銃」です。
銃の保有率は高いのにスイスではアメリカのような悲惨な事件は起きていません。
人々が銃の使いみちを厳格に守っているからです。
抵抗戦を展開するためのマニュアル(民間防衛)も支給されます。
全体で人工を上回る人数を収容できる核シェルターが国内にあります。
もちろん国民の命を守るためですが、持久戦への備えにもなります。
トンネルや橋などは、いつでも爆破できる用意がなされています。
敵の進軍や兵糧弾薬の補給に利用させないためです。
不幸にして侵略を防げなかった時には、主要なインフラ、施設を破壊し、自ら国土を焦土と化して、侵略者に何も与えない方策を採ることが決められています。
私は、この「スイスの国防の有り様」に、あることを強く感じます。
それは「誇り」です。スイスという国の、スイス国民としての「崇高なまでの誇り」です。
確かに、スイスの選択し装備した防衛体制を現時の世界情勢に照らせば、実効性は乏しいでしょう。
しかし、それでも、ここまで清廉に中立を世に標榜するスイスを攻めるとなれば極めて大きなリスクを覚悟しなければなりません。
世界中の良識と、それを利用する、あらゆる国、地域の為政者たちを敵に回すことになるからです。
スイスは武装中立ですが、非武装中立を標榜する国もあります。
かつてのルクセンブルグがそうでした。
国が小さくて、防衛に予算を割けないという経済的事情もあったのでしょう。軍隊を持っていませんでした。
しかし、多くの国が境を接するヨーロッパにあって、「非武装で平和」は叶いませんでした。
第一次世界大戦でドイツに滅茶苦茶にやられました。
ところが、懲りずに大戦後も非武装中立を崩しませんでした。
結果、第二次世界大戦で、またしてもドイツに蹂躙されました。
今では、立派な軍隊を持っていますし、NATOには原加盟国として参加しています。
当時のヨーロッパと現代の日本とでは事情が異なる。
いえ、「抗う手段を持っていないと侵略される」、これは少しも変わりません。
南沙諸島の島をフィリピンが某国に奪われたのは、抗う手段を一時的に行使できなかったからです。(軍隊が災害救助のために出払っていた)
R国がU国に侵攻したのは、U国に抗う手段が乏しいと、R国が見くびったからです。
(ここには啓示が含まれています。抑止のための軍備は持っているだけでは駄目で、誇示しなければならないということです。)
「憲法九条を守っていれば平和」、、この、現実離れした「お花畑の香」に酔うのは 、いい加減やめにしませんか?
最近気づいたことがあります。
朝日新聞が一連の報道を捏造と認めて謝罪した、所謂「慰安婦」問題。
「そ***言って**会」のレギュラー「TY」さんは朝日の謝罪の後も「軍の関与があった」と言い続けていたそうです。
詐欺(詐欺ですよ、国会議員なのに詐欺犯ですよ〜)で前科一犯、立憲民主党の女性議員「TK」さん。
検察が起訴しなかった加計学園問題、桜を見る会問題に、執拗に難癖をつけていました。
政党支持率が0.2%しかない社民党の党首、「HM」さん。
福島原発の処理水を汚染水呼ばわりする中国や韓国の尻馬に乗って彼等のデモに参加するという悪ふざけ。
両国は福島原発から10年かけて放出される予定の処理水の何倍もの量の、しかも、高濃度の処理水を海に垂れ流し続けているというのに。
左寄りと目される言論人は、真実には程遠い筋悪の言説に何故こうも拘るのでしょう?
その理由に最近気付いて しまいました。
もちろん、「左巻き」が彼等の生業であることは以前から分かっていました。
しかし、少なくとも自身が事実と信じるところを発信しているものだと思っていました。
ところが、そうではなく
例え嘘でもディペードモードで誤魔化しが利きそうなネタならば、仕事に使えると踏んでいるらしい。
ことが、分かってきたのです。
いわゆる慰安婦問題の働き手の調達に軍の悪どい関与がなかったことは、TYさんにも分かっていたはずです。
「加計学園問題や桜を見る会問題に起訴相当の不正はなかった」TKさんは知っていたに違いありません。
「福島原発から放出される処理水より、中国や韓国の原発から放出される処理水の方が、含まれるトリチュームの総量は遥かに多い」
HMさんは重々、承知だったと思われます。
これは生業というより、商い、それも、「悪徳商法」と呼んだ方がしっくりします。
商いの屋号として、「左屋」、「右屋」、「中道屋」、のうち、
彼らが「左屋」を選んだのは「楽に稼げそうだから」です。
お客さんの数が圧倒的です。
GHQのWar Guilt information Programによって、骨の髄まで自虐思想に染まった中高年が人口の大部分を占める日本です。
若い世代も、その多くがお客さんです。日本の社会科の教科書は未だに赤いままだからです。
ところが、この大きな需要に対して供給が足りません。
彼らが左巻き向きのネタなら片端から見境なく飛び付いて成果が見込めなくなっても往生際悪くしがみ付くのは弾が足らないからです。
弾数を確保するには品質を落とすしかありません。嘘だろうが出鱈目だろうが、何でもありです。
嘘を真実に見せるには、詭弁虚言を総動員して人々を煙に巻かなければなりません。
当然、発言は「何言ってんだか訳分からなく」なります。
その代表格がMRさんです。
この人がTVで何か言い始めると私は耳をそばだてて欠片も聞き逃すまいと身構えます。
発言の内容を頭の中で何度も反芻し、あまり上等ではないと自認する脳みそをフル稼働して理解に努めますが、結局、サッパリ分かりません。
私の頭が悪いからだと諦めていましたが、先日、百田尚樹さんが「MRさんの話は、何を言っているんだかわからない」
百田さんに解らないのだから私に解るはずがない。安心しました。
左屋の店主達は左巻きを標榜し生業としていますが、左巻きのイデオロギーを本気で信じているとは到底思えません。
何故って、彼らは日本に住んでいるからです。
世界には少ないとはいえ共産主義国、社会主義国が存在します。何故彼らは住んでみようとしないのでしょうか?
左巻きを信奉するが故に北朝鮮や中国やキューバに移住した人を私は知りません。移住しようと努めた人さえ知りません。
「日本を理想の社会に導くため」笑いすぎで腹が痛くなりそうな言い訳です。
今更コミンテルン紛いの理念の押し売りなんて、余計なお世話の極みです。(間違いなく、彼ら自身もそれを自覚しています。)
ガス、水道、電気、至れり尽くせりのライフライン。秒単位の正確さで運用される公共交通インフラ。国民皆保険の充実した医療サービス。
小学生が一人で登校しても、若い女性が一人旅をしても、何事も起こらない治安の良さ。
ゴミ一つ落ちていない町並み。紛失した財布がほとんどの場合、手つかずで戻ってくる高い民度。
左傾言論人が共産国に帰化はおろか住もうとさえしないのは、国内にコミンテルンまがいの理念を広めるためではなく、日本にいれば快適で便利で安全に暮らせるからです。
日本に住み、これらの恩恵に浴していながら、自らの生業のために日本を貶めるような言説を垂れ流す。
何と汚い、何と狡い、何と卑怯な、何と醜い、何と浅ましい、何という蔑むべき恥知らず
とは言え、戦後70年余、日本は自民党が政権を取り続けてきました。(民主党の三年間を除いて)
これが大多数の日本人の「本音」だからです。
しかし、語るのは「建前」でなけばなりません。
「私はリベラルですよ〜」という顔をしているのが平穏に暮らすための基本です。
目立ってはいけません。例えば、うっかり祝日に「日の丸」でも立てようものなら、辺りから白い目で見られます。
左っぽいことを言っておけば、浮かずにすみます。「左傾向に語っておけば無難」これが悲しいことに現実なのです。
この表層を見て左翼言論人たちは大きなマーケットだと誤解をするのです。
同調圧力に弱い日本人は「リベラルっぽい」言論界の風潮に抗いません。
かくして、世の中、左巻きが闊歩します。
高橋洋一先生が自身のYouTubeチャンネルで話していました。
学生のとき資本論を読んだが、数ページ読み進めたところで止めた。
物の値段は、「それを製品化するのに掛けた労働の対価で決まる」と書いてあったからだ。
違うだろう。物の値段はニーズで決まるんだ。
それ以上読む価値は無いと思った。
私も若い頃「資本論」を読んだことがあります。
私の手にした本では数十ページ目に労働価値説が登場しましたが、そこで読むのをやめました。
主な理由はヤヤコシくてついていけなかったからです。
ただ、読み止めた箇所は高橋先生と同じです。
高橋先生のように、即、まやかしに気づいて我慢がならなかったのではなく、次のように考えました。
「ダイヤモンドと石炭」です。
どちらも地面から掘り出す鉱物です。しかも同じ炭素が主成分。
確かに採掘や製品化に要する労力はかなり違うでしょうが、価格は桁違いです。何十万倍、何百万倍もの差があります。
後に知り合った赤っぽい友人が「その労働に対する消費者の評価で値段は決まる」と言ってましたが、
「需要対供給」しか評価の拠り所はありません。何のことはない、これは市場原理です。
万の弁説を弄しても、この事実を覆すことはできません。
1975年か1976年、1977年だったかもしれない。正確には覚えていない。
環状七号線の豊玉陸橋から十三間通りを600メーター程下り、さらに左折して三つ目の四差路の近く、
幅員10メータの道路沿いに築40年を超える木造の二階建てアパートがあった。
一階の道路に面した一室に老婆が一人で住んでいた。
いつも、カーテンの開け放たれた室内に、その姿が見てとれた。
ある日、黒塗りの大きな乗用車が対向車線側の縁石に寄せて停まった。
後部座席に男が三人。真ん中の中年男は両脇の二人に拘束されているようだった。
車はしばらく停まっていた。中年男は道路越しに室内の老婆を見ていた。
数日後、汚職を疑われていた大物政治家の運転手が自殺した。いや、正確には「自殺した」と報道された。
権力に腐敗は付きものだと言われます。
現在の政権の腐り具合は全体に蔓延していて上述の疑獄より遙かに酷いと思います。
そろそろ、新しい選択肢が必要だと思います。
総取っ替えです。ただし、後釜は勿論、左巻きではありませんよ〜〜。