奥多摩周遊道路の残雪

周遊道路における五月の雪は珍しくありませんが、殆ど積もらず、翌日には跡形もなく溶けてしまいます。 しかし、今年は例年とは陽気が違うように思えます。

今年(2014年)は四月中旬になっても周遊道路のそこここに雪が残っています。
写真のような谷間を広く埋める残雪は中腹より上にしか見られませんが、沿道の至る所に積み上げられた除雪の山は、その殆どが未だに人の背丈ほどもあります。


地球は本当にメディアで騒がれるほど顕著に温暖化しているのでしょうか?

温暖化の具体的な影響として日本で報道されている以下のような事象と予測は、嘘、若しくは詭弁であることが解っています。

  • 南極は零下数十度の世界で氷が溶けるわけがないし、テレビのヴィデオで良く流れる氷の崖が海に崩れ落ちる現象は内陸部で生成される新たな氷に押されて順繰りに海岸まで移動した結果である。

  • 北極の氷も季節によって変動はあっても年平均の結氷率は長い間変わっていない。シロクマが小さな氷を伝って泳ぐ姿は大昔から夏には必ず見られる光景だ。
    この半世紀で三割ほど氷の面積が減っているという記事を、最近、某メディアで目にしましたが、これは、恐らく、例の悪名高き「ホッケースティック」と同種の詭弁だと思います。
    年々、同じような減少率で徐々に氷面積が小さくなったわけではなく、数十年に渡って増減を繰り返す年次別平均氷面積データの内、初期の広かった年次と、近年の中で、狭かった年次を選び出し、二者の差を50で割った数値でしょう。
    つまり、最も広かった年と最も狭かった年を切り出して比べた結果です。

  • ツバルは米軍が飛行場を作るときに削って整地したことにより、珊瑚礁で出来た元々脆弱な地盤構造が破壊されたことに加えて、観光地化による水不足を解消するための地下水汲み上げが地盤沈下を招いた。
    結果、嵐どころか大潮でさえ海辺近くが水浸しになるようになった。

  • マラリアの北進も噴飯もの
    そもそも、マラリアは熱帯性の疾病ではないそうだ。蚊は15度以下の環境でも生息できるという。
    事実、マラリアの過去最悪の流行は、1920年代と1930年代のシベリアで起きたのだ。
  • 日本では殆ど報道されなかったICPPによる「地球温暖化説」を有利に見せるためのデータ捏造も最近は主にネットを通じて世界中の知るところとなっている。

    温度計が発明されてから150年の間に0.7度ほど上昇しているというデータはあるものの、陸地の、それも都市部に測定地点が集中していて、かなりのバイアスが掛かっていると多くの学者が指摘している。

    衛星から撮った東アジアの夜景が初めてテレビに流れたのは四十年以上前だと思います。(以来、何度も同様の映像を目にしています。)
    周辺は真っ暗なのに、日本列島だけが切り抜いたように輝いていました。これには衝撃を受けました。
    電灯から放たれるエネルギーの内、光が占める割合は恐らく20%程でしょう。残りは熱です。さらに、自動車や冷暖房機など光を放たない熱源も存在します。
    昼間の経済活動は夜とは比べ物にならず、日本列島全体が都市熱の坩堝と化すに違いありません。
    現在は周辺の国々も日本と同じような状況になっているでしょう。

    ここ十数年ほどの夏の暑さはヒートアイランド現象だという説に私は「票」を投じます。

    写真−2014年四月十五日撮影


    2014年11月下旬から12月上旬にかけて、この時期としては希な強い寒気団が日本列島を覆っていて、太平洋側にも雪を降らしています。

    日本海側では大雪になっていますが、これにも地球温暖化が絡んでいるという解説がTVで何度か流れました。
    つまり、地球温暖化のせいで冬にも関わらず、海水温が高いため、海水が多量に蒸散して広い範囲を覆う雲となり、これが大雪をもたらした。

    この説明は片手落ちです。
    海水温の高さを強調するために、寒気団の影響を意図的に軽く扱っています。

    それとも、寒波も地球温暖化が原因だとでも言うのでしょうか。

    この理屈は極地の氷についてこそ当てはまります。温暖化のために海からの蒸発量が増え⇒雪も増え⇒降り積もった雪が凍って、また雲になる前の水蒸気が直接既存の氷に付着して⇒氷が増える。地球全体が多少温暖化しても、冬の極地は零下だからです。(地球温暖化説肯定派の皆さんは「極地の氷は減っている!!」と言ってますが)
    しかし、11月下旬の太平洋側では、降れば普通は雨でしょう。海水の蒸発量が増えるほどの高温ならなおさらのはずです。
    海面近くと雲の高度とでは温度を支配する要素の塩梅が異なり関連は薄いと温暖化肯定派の方は仰るかもしれません。
    繰り返し問いたい。海水温が高いときでさえ上空が充分に低温なのであれば、なぜ雪降りではなく殆どが雨降りなのか?(11月の日本の太平洋岸において)
    そういえば、「高緯度地方での海水蒸散が増えて、それが偏西風の軌道を低緯度方向に押し下げている」という解説をテレビで聞きました。
    ということは、逆向きの要素は存在しない、つまり、低緯度地方では海水の蒸散は増えないことになります。
    温度の海水の蒸散量に与える影響は高温側で対数圧縮が掛かるとでも言うのでしょうか?

    「北極や南極の氷の減少」など、あり得もしないことを温暖化の証拠として挙げているばかりか、「大雪」という「寒さ」の代表のような現象まで「温暖化」の所為だとしているのです。

    旗色が悪くなれば、温暖化肯定派の論陣には定番の負け惜しみが控えています。「局地的で一時的な現象だ」と。何しろ「自分の物は自分の物、他人(ひと)の物も自分の物」ですから。


    強烈な寒波だけではなく、季節外れの強大な台風、ゲリラ豪雨、竜巻、爆弾低気圧、等の異常気象が日本のみならず、世界中を席巻しています。

    地球温暖化説肯定派の中に、それらも温暖化の結果であると断じる人々がいます。

    しかし、これについても多くの専門家が否定しています。「嘘だ!」と

    私の様な素人にも、少し考えれば、いや、考えなくても解ります。
    雨、雪、風、全ての気象は平衡点に収斂しようとする大自然の営みであると。

    だとすれば「気象の規模や激しさは、温度そのものではなく、温度差に依存する」はずです。
    高緯度地方と低緯度地方の、上空と地上の、高地と低地の、海洋と内陸の、温度差です。

    低緯度地域の気温や海水温が高いことは認めましょう。
    では、高緯度地域や高地の温度はどうなっているのでしょうか?
    温暖化肯定派の方々は繰り返し主張しています。
    南極や北極の氷が溶けている。氷河が溶けている。

    彼らの主張が正しいとすれば、両者は平行移動しているだけで差は変わらないことになります。
    言い換えれば、一定の幅を維持したまま上にシフトしているだけです。
    この場合、僅かな上昇なので影響の度合いも等しい比例関係を適用できると思います。
    つまり、温度差が変わらなければ、規模や激しさも変わらないはずです。


    氷河が溶けているのは確からしいので、程度はともかく、温暖化は事実のようです。しかし、犯人は二酸化炭素でしょうか?
    (注−温暖化のせいではなく、森林伐採などによる環境悪化や太陽光の直接の照射によって蒸発したためだとする説もあるそうですが)

    今年(2014年)の初め(確か1月27日)のTVタックルで、お天気キャスターの森田さんが、二酸化炭素冤罪説を唱える丸山教授に噛みついていました。

    丸山教授の主張は、「今から八億年前は大気中の二酸化炭素が現在の50倍もあった。」「なのに、地球は赤道まで凍っていた。」「二酸化炭素は地球温暖化に関係ない。」
    「もし、地球温暖化が事実ならば、現在の地球大気の僅か0.054%(wikipediaによれば0.039%)に過ぎない二酸化炭素ではなく、もっと大きな影響力を持つ原因があるはずだ。」

    これに対して森田さんは、「八億年前と現在では大気の組成が全く違う。例えば酸素は現在より遙かに少なかった。同列には語れない。」

    私は丸山教授の主張に分があると思います。

    体積比で大気の0.054%しか占めない二酸化炭素が僅かに増えただけで地球の温度が大きく上がるのなら、現在の50倍も存在した二酸化炭素に抗って(あらがって)八億年前の地球を全球凍結するほどの低温にならしめたものは何だったのか?
    あれほど激しく反論するのならば、せめて蓋然性を持つ例だけでも示す義務が森田さんにはあったと思います。
    森田さんが挙げた酸素には赤外線を吸収する能力がありません。つまり、酸素の割合が小さかった事それ自体は、森田さんの主張にとって寧ろ否定的な意味しか持ちません。
    そうではなく、酸素が関わって気温上昇を促す方向に効く仕組みが他にあるのなら、それを示すべきです。

    ただし、このやりとりでは丸山教授にも少し狡いところがあると思います。
    「温度が低くなると二酸化炭素の温暖化効果が頭打ちになって、全球凍結もの低温下では全く無力である」ことに触れていません。
    つまり、二酸化炭素が現在の地球の何十倍あろうと、赤道まで凍てついていた地球の温度には、元々、大きな影響を及ぼし得なかったということです。

    ただ、八億年前の更に以前の地球が温暖な気候から寒冷化に向かう課程で、二酸化炭素の温暖化効果が、ある段階までは有効だったはずです。
    にもかかわらず、寒冷化に歯止めが掛からず全球凍結にまで至ったということは、二酸化炭素の温暖化効果が「大したことない」証だとは言えそうです。

    蛇足-
    「大気の組成」より「地球自転軸の傾き」や「地球の公転軌道(太陽と地球の距離)」の方が地球の気候に及ぼす影響は遥かに大きいそうです。
    八億年前の低温は、そのせいでしょう。
    後者は考えるまでもなく納得がいくのですが、「自転軸の傾き」が、どのような仕組みで地球の温度に影響するのかが分かりません。
    外気圏を含む地球全体が受ける太陽からの照射の総量は自転軸の傾きに関りがないと思われるからです。
    自転軸の傾きによりバンアレン帯や電離層の挙動が変わるであろうことは想像つきますが、、
    ネットを調べても、答えは見つかりませんでした。どなたか、教えてください。

    蛇足の蛇足-
    「自転軸の傾き度合いの気温に対する影響」また、「公転軌道の膨らみ度合いの影響」、
    つまり、自転軸が何度傾いたら、気温に、どの程度の変化をもたらすのか?
    公転軌道のどれくらいの膨らみ具合が、気温にどれほどの影響を及ぼすか?
    データと呼べそうなものは欠片も見つかりませんでした。
    「自転軸の傾き」「公転軌道」と「地球気温」との相関を示す時系列に沿ったグラフでもあれば一目瞭然ですが、見つかるはずがありません。

    意図的に隠されているのかもしれません。
    「気づいていないんだから、黙っていよう」みたいな。
    ばれると「二酸化炭素犯人説」が崩壊しかねないからです。


    地球温暖化+二酸化炭素犯人説を原子力発電所再稼働とリンクして語る最近の傾向について

    もし、顕著な温暖化が事実で、その原因が二酸化炭素の増加であったとしても、現時点での原発再稼働には私は反対です。
    逆に、「原発反対」の立場から「二酸化炭素犯人説」に異を唱えているわけでもありません。
    念のため、、

    「地球温暖化説」を「脱化石燃料」に導く論理には、胡散臭いものを感じます。
    「地球温暖化+二酸化炭素犯人説」は多くの識者が指摘する様に「学術的知見」ではなく、「環境ビジネスという利権」や「化石燃料をはじめとする資源の消費に関する先進国のアドバンテージ」を肯(うべな)うための「プロパガンダ」であると、私も思います。

    ちなみに、私が原子力発電に反対する理由は主に二つ、、

  • 他の発電手段とは次元の異なる「事故が起きたときの危険性」
  • 放射性廃棄物が煮ても焼いても食えない
  • これについては但し書きが要ります。

    原発反対派は関わる技術や研究までをも全否定します。
    反対の根拠は理屈ではなく憎しみのようにさえ見えます。

    確かに現状の技術で電力供給を原子力発電に委ねるのは危険だと思います。
    しかし、安全さえ確保できれば、この大出力の発電手段は社会を支える主要な柱になりえます。

    技術を継承し、より高めるために、継続的な研究が欠かせません。(実用に向けての最優先の課題は、もちろん、安全)
    (事故を回避する、とりわけ人的被害を100%出さない方策を講じたうえで)実験も必要です。

    そこまでして進歩は必要か?
    必要です。

    今でも、世界には貧困に苦しむ夥しい数の命があります。
    つい、この間まで、日本もそうだったのです。

    これは、限かれたリソースが全ての人に行き渡らないためで、物が足りれば解決します。奪い合うこともなくなります。

    道は世の中の進歩です。技術の進歩と、それを人々の暮らしに生かす心の進歩です。
    地球上の全ての人が幸せになる道は人間社会全般にわたる進歩しかないと思います。

    そこまでして、幸せは必要か?
    必要です。

    人は互いに助け合う生き物です。
    その指し示す先には「(他)人の幸せ」があります。
    人は人を幸せにするために生き、そして、人の幸せな様を見て自らも幸せを感じる生き物なのです。

    但し書きの但し書き、、
    異次元の「事故が起きた時の危険性」、これはとてつもない難敵です。
    この難敵を倒すには、つまり、安全性を究極まで高めるには
    「とてつもなく広く深い研究」を、「とてつもなく長く」続けなければならないでしょう。
    核のゴミについては、極限までエネルギーを絞りつくす技術(燃料リサイクル)と廃棄方法の確立が必要でしょう。
    原料は地中から掘り出したウランなのですから、「煮もせず」「焼きもせず」「食いもしない」方法があるはずです。


    重要な注

    私は一介の「町の花屋」であって、環境問題と、それにまつわる諸々について専門に学んだわけではもちろんありません。
    ですから、この稿の内容は「主張」でも「意見」でもなく、ただの「感想」に過ぎないとご理解下さい。

    さして重要ではない注

    私はコテコテの二酸化炭素犯人説否定派ではありません。強いて言えば懐疑派です。

    メディアで接するGlobalWarmingについての解説や観測データーは様々です。

    それらの中から自らの信条に都合の悪い要素を裏付けもなく排除するとしたら、それは詐欺か若しくは信心です。
    「詐欺」は論外として、「信心」に逃げるのは卑怯です

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    自然エネルギーは本当にエコなのか?

    まず電力

    太陽光

    太陽光は極めて薄いエネルギーです。実用に供するには、広ーい場所が必要です。
    人の生活に近い土地は価格が高くて採算が取れないので、原野を切り開いたり森林を伐採して用地を手当てします。
    これってエコでしょうか?

    太陽光パネルの陰になる場所には、それまでは、お日様が当たっていた。
    日当たりが日陰になる。何か起きそうな気がしませんか?

    太陽光発電が本当に環境に優しいのか?原子力発電と比べてみましょう。

    柏崎刈谷発電所には7基の原子炉があり総出力は821万2千KWです。
    これを太陽光発電で賄うにはどうしたらよいかというと、、どえらいことになります!

    東京での一年間の面積当たり太陽光入射量は1200kWh/平米です。
    365×24=8760で割ると、約137W。

    821万2千KWを137Wで割って、5994万1605平米。約59.94平方Km。
    大田区の面積(59.46平方Km)とほぼ同じです。

    つまり、大田区全体を太陽光パネルで覆わないと柏崎刈谷原子力発電所と同等の出力を得られないということです。

    しかも、これは隙間なくパネルを敷き詰めたとしての値です。
    建設時や保守運営を考えると間隔を開けることが避けられず、少なくとも二割増しの面積が必要でしょう。

    さらに!太陽光パネルの効率は20%しかありません。

    平米137ワットの太陽光エネルギーを100%変換した場合と同等の発電量を得るには五倍の面積=5平米が必要です。

    つまり、太陽光発電で柏崎刈谷発電所と同じ発電量を得るには、、大田区の六倍(5×1.2)の面積が必要なのです。
    これは実に東京23区総面積(626.7平方Km)の半分近くに相当する広さです。

    断言します。太陽光発電は究極の環境破壊です。

    しかし、屋根に太陽光パネルを敷き詰めるのは悪くないかもしれません。
    天窓でもない限り、採光を気にする必要はないし。
    夏の日射を屋根との二重構造で遮ってくれるから、発電をしながら冷房費を僅かながら節約できる
    もっとも、冬場はデメリット側に振れるでしょう。夏とは逆になるからです。

  • 風力

    太陽光と同じく、設営にあたって環境の破壊が避けられません。

    風車の風下は、そよ風になるか、風車が理想的な仕事をすれば無風になるでしょう。
    周辺環境、特に生態系に何らかの、それも、良からぬ影響を必ず与えます。
    動植物の、それまで培ってきた適化が無為になります。

  • この項は書きかけです。

    次に書くことは「自然エネルギー否定派」にとってはマイナスの要素です。
    既述のとおり、否定的要素を無視するのは「詐欺」か「信心」の類で、アンフェアだと私は考えます。

    太陽光発電施設にせよ、風力発電設備にせよ、建設やインフラ整備に石油が使われる。だから、エコじゃない。
    この理屈は「自然エネルギー否定」の論拠にはなりません。
    石油ではなく自然エネルギーで、それらを行えばいいのです。

    部品、部材の製造、建設ツールや輸送手段の動力を電力で代替えするのは無理だと「自然エネルギー否定派」の方々は仰います。

    このような話になると、私は何時も1970年代のコンピューター周辺事情を思い出します。
    当時もITの世界は時進日歩でした。メモリーの容量やCPUクロックの速度の標準が年に五割も増えるのがふつうでした。
    短期間に新型に買い替える財力を持たない貧乏なコンピューターホビースト達は
    「どうせ最先端機器でも高画素のイメージを扱うような、重い仕事はできないんだから」
    「工夫と遣り繰りで細いリソースを骨までしゃぶるさ」などと開き直って、動画などは端から諦めていました。

    ハードのパフォ−マンスが、当時の何十万倍になった今日、そのようなことを言う人はいません。

    数年もあれば石油を自然エネルギーに置き換えること自体は難しくないと思います。
    もちろん、私は自然エネルギーへの移行を肯定しているわけではありません。
    「建設やインフラ整備に使用するエネルギーを石油以外で賄うことも不可能ではない」と言いたいだけです。

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    小学校五年の春、クラスに二人の少年が編入されてきました。
    二人の親は国鉄職員で、共に小学校近くの国鉄官舎に九州から家族で引ったん越してきたのです。

    OとSでした。九州時代からの友達同士だったようです。
    Oは才気煥発で学業も優秀、正義感の強い少年でした。Sは大人しくて優しい、感じの良い少年でした。

    二学期の初めに級長選挙がありました。
    立候補だったか、生徒たちの推薦だったかは、忘れましたが、以前から級長を務めていたKと、編入三か月にして皆の信頼を集めていたOとの決選投票になりました。
    Oの真面目な性格は女子に人気がありました。片やKは、所謂、要領の良い奴で男子に人気がありました。

    投票は、一人ずつ起立して自分の支持する者の名前を言う、言わば記名投票の口頭形で行われました。

    ここで、おかしなことが起きました。

    私たちのクラスは男子が女子より五人多かったのですが、、、
    女子は全員、Oに票を入れました。O自身と、友達のSも、Oに入れました。
    一方、私を除き、且つ、O、S、以外の男子は全員、Kに票を投じました。

    お判りでしょうか、OとKの獲得票数は、この時点で同数です。つまり、 結果は私次第となったのです。
    実際には、私の起立順は全体の中頃だったので、全員(私も含む)が「キーは中森が握っていた」ことを認識したのは最後の一人が投票した後ですが。

    級長はOに決まりました。

    私がOに入れたのは、言うまでもなく、彼が、より級長に相応しく、クラスにとっても良いと思ったからです。

    「お前のせいで、Kは級長になれなかった」と男子の皆に、散々、小突き回されましたが、自分の選択を後悔したことは今に至るまで一度もありません。

    国を愛するということ

    「愛国心」を口にすれば、必ず、「お前は右翼か!」という声が方々から聞こえてきます。
    国民の祝日に日の丸でも立てようものなら、周囲から白い目で見られます。

    ひと昔半前までは、私自身も、似通った心象を抱いていました。
    生まれてこの方60年以上「愛国=軍国主義=右翼」の空気の中で過ごしてきたからでしょう。

    しかし、世紀が変わって暫くたったころ、「どうしても、これはオカシイ」と思うようになりました。

    それ以前も、「原爆の記念碑に記された主語のない文言」、「条文を読むこともせず徒党を組んで安保(注)に反対する大勢の大学生たち」、「台湾を袖にして中国と手を結ぶ国家体制」等、頭の中で折り合いの付かない事案は多々ありました。

    割り切れぬまま、これが日本の中道であり、正しいに決まっていると、自らを諭してきましたが、
    世紀末を五年も過ぎたころ、ネットに溢れる情報を否応もなく目にするようになって、自分を誤魔化しきれなくなりました。

    日本人の多くが真の意味での「愛国心」を持たなければ、この国に明るい未来はない、と考えるようになったのです。

    自分の一番身近には両親がいます。配偶者がいます、子供がいます。兄弟がいます。祖父母がいます。叔父、叔母、甥、姪、従妹。
    縁者の繋がりを辿れば日本全国に広がります。

    住いの右隣、左隣、向かい、はす向かい、裏。その、さらに隣、その、裏。広がりはコミュニティーとなり、接したコミュニティーと繋がります。
    それぞれは村であったり町であったり、それが寄り集まって、郡となり市となり、さらに上の単位である都道府県となり、日本全国に広がります。

    遺伝子の共通部分を多く持ち、同じ言葉を話し、風土と歴史と文化を共有し、共通の利害を持つ。その集団の住む総括が国です。

    自身や深いきずなで結ばれた親兄弟や隣人の延長である、この国を、なぜ、愛してはいけないのか、どうしてもわかりません。


    注-これは新日米安保条約です。

    1960年に調印、発効しました。
    大学生を主とした大規模な反対運動が起きました。デモ中に死者が出たくらいです。

    この新安保が日本にとって悪くはないと、当時、小学生だった私に教えてくれたのは母方の祖母でした。
    新聞に載った条文を隅々まで読んで、旧安保より遥かに「まし」だと思ったそうです。

    ちなみに、この祖母は小学校にさえ行っていません。家が貧しかったからです。
    しかし、漢字を含む読み書きや四則演算は正確にできました。

    祖母の祖父、つまり、私にとっての高祖父は元旗本でお小人目付を務めていた人だそうです。(明治維新で没落した)
    その息子である曽祖父も当時としては高い教育を受けた人なのでしょう。アルファベットの読み書きさえできたそうです。
    祖母は学校には行っていなくても、その曽祖父から読み書きそろばん位は教わっていたのだと思います。

    しかし、それでも学校教育を一切受けていない明治生まれの老人です。
    その祖母が隅々まで読んだ条文を、反対運動に参加した大学生の殆どが読んでいなかった。
    そのことが、後になって明らかになりました。あの鳥越俊太郎さんも全く読んでいなかったと告白しています。

    読みもせずに反対していたのです!!読みもせずに反対していたのです!!!読みもせずに反対していたのです!!!!


    難しい話ではない

    「あまねく国々の人々が互いに理解し尊重しあう争いのない世界」
    どこかがこそばゆくなりそうな「桃源郷」ですが、この理想に異議はありません。
    群れを作り、他の群れと対立することによって仲間との「えにし」が生まれ、それが個々の生きる「よすが」となる。
    これが人間の宿命ですが、不断の努力を怠らなければ、「対立」が、いつか「融和」に変わると信じます。
    しかし、その努力が実を結ぶのは、遠い遠い未来の話です。

    日本が仲良くしたくても、隣の国が仲良くしたがらないからです。これが、目の前の現実です。

    フィリピンから1992年に米軍の撤退が完了して以降、虎視眈々とチャンスを窺っていた日本の隣国は、災害救援でフィリピン軍が留守にした南沙諸島の島(フィリピンが実効支配していた)を盗んでしまいました。

    そんな国の漁船(まがい)が大挙して連日のように尖閣諸島の日本の領海を侵犯しています。
    海警局の船舶も侵犯しています。

    既存メディアは殆ど報道しませんが、ネットには詳しく載っています。
    1969年の国連による調査で尖閣諸島周辺の東シナ海海底に石油埋蔵の可能性が指摘されると、急に、この海域の領有を主張するようになった。
    人民日報などで、台湾はもちろん尖閣諸島ばかりか沖縄本島ですら自国の領土であると主張している。

    ところで、なぜ、この100年も遅れてやってきた覇権主義国家は尖閣諸島の周辺をウロチョロするだけで手出しをしてこないのでしょうか?

    理由は簡単です。
    日米安保があり、基地から米軍が目を光らせています。憲法九条で手かせ足かせをされてはいるものの自衛隊もいます。

    もし、フィリピンのように米軍が撤退し、憲法違反を理由に自衛隊がなくなりでもすれば、この国は、その日のうちに喉から手が出るほど欲しい尖閣諸島を奪いに来るでしょう。

    憲法九条を守っていれば平和が保たれると仰る皆さんは「話」合いで解決すると主張しますが、それこそ「話」になりません。
    必要なのは「憲法九条」ではなく「抑止力」なのです。
    もし、この後ろ盾なしに話し合う姿勢を貫けば日本にとっての「争いのない世界」は永遠に訪れません。
    それを享受する日本という国自体が無くなってしまうからです。

    難しい話ではない。
    事態の経緯は明確だし、対処法の選択肢も限られています。

    日本が実効支配している(つまり、日本の領土として認められている)尖閣諸島を隣国が盗もうとしている。
    国際的に禁じられた力による現状変更を企んでいる。
    南沙諸島の島をフィリピンから盗んだこの国が「話し合い」になど応じるはずがない
    況や国際紛争平和的処理条約を遵守する気などあるわけがない。
    だとしたら、力は力で抑止するしかない。

    抑止力は二つ。

    一つは同盟です。
    戦後70年余も平和を保てたのは日米安保のおかげです。断じて憲法九条の御利益ではありません。
    しかし、日米安保は実質的に片条約です。米国は日本を助けてくれるけれど、日本は憲法九条の縛りで米国を助けられないのですから。
    となると、日本有事の際に、米国が集団的自衛権を実効的に行使してくれるかは疑問です。

    もう一つは自前の防衛力です。
    うまくいくかどうかは別として、ほかに選択肢はありません。

    軍拡が必要だと思います。
    核武装すら必要だと考えます。

    「隣国(軍事大国)もバカではないから、闇雲に攻めてきたりはしない」と「ある傾向の信条をお持ちの皆さん」は仰います。
    ところが、我が国の僅かばかりの防衛費増額を「侵略戦争に繋がるから許されない」と同じ口で語るのです。

    私は問いたい。これは「矛盾していませんか?」

    隣国は南沙諸島の島をフィリピンから盗んでしまいました。
    この暴挙は世界中から囂々たる非難を浴びました。
    隣国は、また、尖閣諸島も盗むべく、連日、多数の船舶で、領海侵犯を繰り返しています。

    一方で、平和を尊び信義を重んじる日本は、戦後70年余「専守防衛」を逸脱する行為を一切していません。
    隣国の強大な軍事力への、せめてもの備えとして防御壁を少しだけ高く丈夫にしたに過ぎません。

    つまり、現実は「ある傾向の信条をお持ちの皆さん」の言い分の真逆です。

    私は問いたい「あなた方、ノウミソはあるのですか?」

    繰り返します。「軍拡は必要です」

    核武装無効論について/戦時の幻想

    「核を使用すれば相手も報復として核を使い、当事国は共倒れとなり、破壊の影響は全世界に及び人類が滅びる恐れさえある」だから「核は使えず、従って、抑止力にならない」

    頭が変になりそうです。

    何故って、、
    この理屈は、敵対する相手国が全人類への人道的配慮を含む想定通りの判断を下すことを信じ、それを意思決定の前提としなければ成立しないからです。

    「我国が通常兵器で攻撃しても、敵国が核兵器で反撃してくることはない」「なぜならば、それは我が国の核兵器使用を誘引し」「自国の破滅にも繋がるからだ」「この賢明な判断を敵国が下すことを我が国は疑わない」「したがって攻撃を敢行する」ということですよね?

    これは殆ど「幻想」です。

    だって、戦争ですよ。
    権謀術数の限りを尽くして切り合うのが戦争ですよ。
    スポーツではあるまいし、実質的に禁じ手は皆無に等しい。
    互いに「何をやるか分かったもんじゃない」それが戦争ですよ。

    確かに、生物兵器や化学兵器を使ってはいけないとか、クラスター爆弾の使用を禁じるとか、国際的な取り決めはあります。
    しかし、深刻な非勢に陥ったら、あるいは、大きなリスクを負わずに戦果を上げたいと欲したら、その国はこれを律儀に守るでしょうか。
    ましてや、核を保有している国ならば、禁止されていない核攻撃行使が優先度の高い選択肢になるのではないでしょうか。
    (核兵器保有国は核兵器禁止条約に署名していない。)
    例えば、半島高緯度地方の某国の最高権力者なら「敵を道連れにしてやる」と考えたとしても、不思議ではありません。

    そもそも核兵器は報復の手段です。以て敵の攻撃を抑止する。それが保有の目的です。
    その目的に沿って、おそらく常に待機状態で保持しているであろう核兵器を「敵が使用することは100%ない」と考えることの方がおかしいと思います。
    正確には、「核兵器使用を敵は決して選択しない」と信じることがおかしいのです。

    隣国はPH国の島を盗んでしまいました。もし、PH国が核兵器保有国だったら盗まなかったでしょう。
    R国はU国に侵攻しました。もし、U国が核保有国だったら侵攻しなかったでしょう。

    相手の核兵器による報復を恐れて先攻を止(とど)まる。自国が核兵器を保有していても、この構図は変わらないと思われます。

    「核兵器による戦争抑止力を無効」とする、この理屈は「戦争に発展しそうなほど、いがみ合っている相手国を信頼する」というあり得ない前提に立った「幻想」です。

    「軍拡が必要です」

    ただし、、


    Negative list

    人間は助け合って生きてきました。そのおかげで、太古から今まで命を繋いでこれました。

    しかし、一方で戦い続けてもきました。我々は、その戦いの勝ち残りでもあります。
    DNAに組み込まれた「闘争本能」を、特に男性は多かれ少なかれ内包しています。

    だから、戦いたがります、(戦うために)武器を持ちたがります。
    事件が起こるたびに「銃が悪いのではなく、その銃で事件を起こす人間が悪いのだ」という見苦しくも恥知らずな言い訳をつけて、(事件を起こす悪い人間の規制が不充分なのに)銃の規制を進めない大国もあります。

    持つだけではなく、理由をこじつけてでも「とにかく、ぶっ放したい」という衝動に駆られる者も、かなりの割合でいると思います。
    いや、武器を手にすれば誰もが使いたいという欲望を大なり小なり持つのではないでしょうか。

    これが「大問題」です。
    軍備は「ネガティヴリスト」でなければ使い物にならないと多くの識者が指摘しています。
    しかし、その禁止リストの最優先項目として野放図に「ぶっ放す」のを止めなければなりません

    高度な訓練と教育を受けた優秀な自衛官でも、極限状態なら「ネガティヴリストに抵触するトリガ」を引くかもしれません。

    不正な使用を監視し阻止する確実で厳格で遺漏のない規則と仕組みが絶対に必要です。
    現場での判断については、もちろん、上層部による作戦方針決定の場においても適用されるものでなければなりません。

    繰り返しになりますが、、
    理由などはどうでもよく、ただ、他と争いたい傷つけたいという乱暴者が世の中には一定の割合で存在します。
    これは悲しいことですが事実です。自衛官の中に紛れ込んでいないという100%の保証はありません。

    ですから、徹底しなければなりません。
    「軍拡の目的は攻めることではなく、攻めさせないことである」と

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    信心

    私が利用している、ある施設の待合室に憲法九条賛美の貼り紙が貼られています。
    四方の壁だけでは足らず、二か所のパーティションにも、時には入口のサッシ戸にも、貼られています。

    内容は大方、「日本国憲法は平和憲法であり、とりわけ九条を遵守していれば戦争には巻き込まれない」

    これを書いて貼った人は、本当に、これを信じているのでしょうか?不思議でなりません。

    どれ位、不思議か、と言えば、
    夜空を見上げながら、「雲一つない晴天だね、お日様が眩しい」と言っているような、それ位、不思議です。

    これは、もはや信心です。いや、むしろ、信心であって欲しいと思います。

    信心ではなく思想だというのならば、行く着く先は決まっていて、それを確信的に受け入れることだからです。

    つまり、一切、抗わず、要求される国土を全て差し出して、チベットやウイグルや香港で行われているような弾圧や同化政策を甘受することです。

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    ネトウヨ

    国連の調査で尖閣諸島周辺の海底に石油埋蔵の可能性が指摘された途端に、隣国が尖閣諸島の領有を主張し始めた。
    これは、嘘でしょうか?

    隣国の漁船が連日、大挙して尖閣諸島周辺の日本の領海を侵犯している。同国の海警局の船舶も侵犯してる。
    これは、嘘でしょうか?

    ウイグルやチベットや香港で弾圧や同化政策が行われている。
    これも、嘘でしょうか?

    上に述べたことが嘘ではなく全て事実であると信じている私は「ネトウヨ」でしょうか?
    気になって仕方がありません。


    改憲

    日本国憲法
    第二章 戦争の放棄
    第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
    第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

    憲法九条です。

    自衛隊は、どう見ても戦力(戦う能力)そのものです。だとしたら、
    九条を、どう読んでも自衛隊は違憲です。詭弁の弄しようがありません。ハッキリ書いてあります。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」

    2018年-自衛隊に対する良い印象を持っている人が89.8%、悪い印象を持っている人が5.6%、
    2022年-自衛隊の必要性について「ある程度必要」と回答した人が51.3%、「必要ない」と回答した人が31.1%、

    内閣府が2018年と2022年に行った世論調査です。
    この調査の結果は自衛隊に関して「憲法九条が日本の現状に即していない」と「過半数の人々が認めている」ことを示しています。

    憲法が発布した70数年前と今とでは日本も日本を取り巻く情勢も大きく変わっています。
    それに合わて憲法も変えなければならない、極く自然なことです。
    (本来ならば自衛隊設立時の1954年に変えるべきでした。)
    国を守る戦力が違憲だなんて、そんな馬鹿なことがあっていい訳がありません。

    憲法改正の回数
    アメリカ-6回、フランスー24回、ドイツ-57回、イタリア-15回、カナダ-18回、中国-4回、メキシコ-408回、スイス-140回、インド-91回、
    韓国-0回 新憲法制定後、改正はない。ただし、第二次大戦後5回の全面改正(新憲法の制定)がなされている。

    世の移ろいに置き去りにされて機能不全に陥らないように、適宜、改正してゆく。それが世界の常識です。
    特に原則に関わる基本的な部分の齟齬は罪深く国を滅ぼしかねません。
    そこに一度の是正も加えられていない日本。なんとも異様です。

    日本国憲法も現状に即して改正すべきであると思う私は「ネトウヨ」でしょうか?
    気になって仕方がありません。

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    自前の抑止力

    永世中立国スイスが防衛のために、どのような体制を敷いているかご存じでしょうか?

    まず、徴兵制が採られています。
    有事の際には6時間以内に30万から40万の兵力を動員できる態勢が整っています。
    スイスの人口840万人、(40万/840万)。日本の自衛隊は30万強、(30万余/12000万)。

    一家に一丁、銃が支給されます。これはアメリカのように「自分の銃」ではなく「国防のための銃」です。
    銃の保有率は高いのにスイスではアメリカのような悲惨な事件は起きていません。 人々が銃の使いみちを厳格に守っているからです。
    抵抗戦を展開するためのマニュアル(民間防衛)も支給されます。

    全体で人工を上回る人数を収容できる核シェルターが国内にあります。
    もちろん国民の命を守るためですが、持久戦への備えにもなります。

    トンネルや橋などは、いつでも爆破できる用意がなされています。
    敵の進軍や兵糧弾薬の補給に利用させないためです。

    不幸にして侵略を防げなかった時には、主要なインフラ、施設を破壊し、自ら国土を焦土と化して、侵略者に何も与えない方策を採ることが決められています。

    私は、この「スイスの国防の有り様」に、あることを強く感じます。

    それは「誇り」です。スイスという国の、スイス国民としての「崇高なまでの誇り」です。

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    非武装中立

    スイスは武装中立ですが、非武装中立を標榜する国もあります。

    かつてのルクセンブルグがそうでした。
    国が小さくて、防衛に予算を割けないという経済的事情もあったのでしょう。軍隊を持っていませんでした。

    しかし、多くの国が境を接するヨーロッパにあって、「非武装で平和」は叶いませんでした。
    第一次世界大戦でドイツに滅茶苦茶にやられました。

    ところが、懲りずに大戦後も非武装中立を崩しませんでした。
    結果、第二次世界大戦で、またしてもドイツに蹂躙されました。

    今では、立派な軍隊を持っていますし、NATOには原加盟国として参加しています。

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    基本的には同じ

    当時のヨーロッパと現代の日本とでは事情が異なる。

    いえ、「抗う手段を持っていないと侵略される」、これは少しも変わりません。

    南沙諸島の島をフィリピンが某国に奪われたのは、抗う手段を一時的に行使できなかったからです。(軍隊が災害救助のために出払っていた)

    R国がU国に侵攻したのは、U国に抗う手段が乏しいと、R国が見くびったからです。
    (ここには啓示が含まれています。抑止のための軍備は持っているだけでは駄目で、誇示しなければならないということです。)

    「憲法九条を守っていれば平和」、、この、現実離れした「お花畑の香」に酔うのは 、いい加減やめにしませんか?

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    左翼という「お仕事」

    最近気づいたことがあります。

    朝日新聞が一連の報道を捏造と認めて謝罪した、所謂「慰安婦」問題。
    「そ***言って**会」のレギュラー「TY」さんは朝日の謝罪の後も「軍の関与があった」と言い続けていたそうです。

    詐欺(詐欺ですよ、国会議員なのに詐欺犯ですよ〜)で前科一犯、立憲民主党の女性議員「TK」さん。
    検察が起訴しなかった加計学園問題、桜を見る会問題に、執拗に難癖をつけていました。

    政党支持率が0.2%しかない社民党の党首、「HM」さん。
    福島原発の処理水を汚染水呼ばわりする中国や韓国の尻馬に乗って彼等のデモに参加するという悪ふざけ。
    両国は福島原発から10年かけて放出される予定の処理水の何倍もの量の、しかも、高濃度の処理水を海に垂れ流し続けているというのに。

    左寄りと目される言論人は、真実には程遠い筋悪の言説に何故こうも拘るのでしょう?

    その理由に最近気付いて しまいました。

    もちろん、「左巻き」が彼等の生業であることは以前から分かっていました。
    しかし、少なくとも自身が事実と信じるところを発信しているものだと思っていました。

    ところが、そうではなく
    例え嘘でもディペードモードで誤魔化しが利きそうなネタならば、仕事に使えると踏んでいるらしい。 ことが、分かってきたのです。

    いわゆる慰安婦問題の働き手の調達に軍の悪どい関与がなかったことは、TYさんにも分かっていたはずです。
    「加計学園問題や桜を見る会問題に起訴相当の不正はなかった」TKさんは知っていたに違いありません。
    「福島原発から放出される処理水より、中国や韓国の原発から放出される処理水の方が、含まれるトリチュームの総量は遥かに多い」
    HMさんは重々、承知だったと思われます。

    これは生業というより、商い、それも、「悪徳商法」と呼んだ方がしっくりします。

    商いの屋号として、「左屋」、「右屋」、「中道屋」、のうち、
    彼らが「左屋」を選んだのは「楽に稼げそうだから」です。

    お客さんの数が圧倒的です。
    GHQのWar Guilt information Programによって、骨の髄まで自虐思想に染まった中高年が人口の大部分を占める日本です。
    若い世代も、その多くがお客さんです。日本の社会科の教科書は未だに赤いままだからです。

    ところが、この大きな需要に対して供給が足りません。
    彼らが左巻き向きのネタなら片端から見境なく飛び付いて成果が見込めなくなっても往生際悪くしがみ付くのは弾が足らないからです。
    弾数を確保するには品質を落とすしかありません。嘘だろうが出鱈目だろうが、何でもありです。

    嘘を真実に見せるには、詭弁虚言を総動員して人々を煙に巻かなければなりません。
    当然、発言は「何言ってんだか訳分からなく」なります。

    その代表格がMRさんです。
    この人がTVで何か言い始めると私は耳をそばだてて欠片も聞き逃すまいと身構えます。
    発言の内容を頭の中で何度も反芻し、あまり上等ではないと自認する脳みそをフル稼働して理解に努めますが、結局、サッパリ分かりません。

    私の頭が悪いからだと諦めていましたが、先日、百田尚樹さんが「MRさんの話は、何を言っているんだかわからない」
    百田さんに解らないのだから私に解るはずがない。安心しました。

    左屋の店主達は左巻きを標榜し生業としていますが、左巻きのイデオロギーを本気で信じているとは到底思えません。
    何故って、彼らは日本に住んでいるからです。
    世界には少ないとはいえ共産主義国が存在します。何故彼らは住んでみようとしないのでしょうか?
    左巻きを信奉するが故に北朝鮮や中国やキューバに移住した人を私は知りません。移住しようと努めた人さえ知りません。

    「日本を理想の社会に導くため」笑いすぎで腹が痛くなりそうな言い訳です。
    今更コミンテルン紛いの理念の押し売りなんて、余計なお世話の極みです。(間違いなく、彼ら自身もそれを自覚しています。)

    ガス、水道、電気、至れり尽くせりのライフライン。秒単位の正確さで運用される公共交通インフラ。国民皆保険の充実した医療サービス。
    小学生が一人で登校しても、若い女性が一人旅をしても、何事も起こらない治安の良さ。
    ゴミ一つ落ちていない町並み。紛失した財布がほとんどの場合、手つかずで戻ってくる高い民度。

    左傾言論人が共産国に帰化はおろか住もうとさえしないのは、国内にコミンテルンまがいの理念を広めるためではなく、日本にいれば快適で便利で安全に暮らせるからです。
    日本に住み、これらの恩恵に浴していながら、自らの生業のために日本を貶めるような発言を垂れ流す。
    何と汚い、何と狡い、何と卑怯な、何と醜い、何と浅ましい、何という蔑むべき恥知らず

    とは言え、戦後70年余、日本は自民党が政権を取り続けてきました。(民主党の三年間を除いて)

    これが大多数の日本人の「本音」だからです。
    しかし、語るのは「建前」でなけばなりません。
    「私はリベラルですよ〜」という顔をしているのが平穏に暮らすための基本です。
    目立ってはいけません。例えば、うっかり祝日に「日の丸」でも立てようものなら、辺りから白い目で見られます。
    左っぽいことを言っておけば、浮かずにすみます。「左傾向に語っておけば無難」これが悲しいことに現実なのです。

    この表層を見て左翼言論人たちは大きなマーケットだと誤解をするのです。
    同調圧力に弱い日本人は「リベラルっぽい」言論界の風潮に抗いません。
    かくして、世の中、左巻きが闊歩します。

    左巻きの基本理念/労働財

    高橋洋一先生が自身のYouTubeチャンネルで話していました。

    学生のとき資本論を読んだが、数十ページ読み進めたところで止めた。
    物の値段は、「それを製品化するのに要する労働の量で決まる」と書いてあったからだ。
    違うだろう。物の値段はニーズで決まるんだ。
    それ以上読む価値は無いと思った。

    私も若い頃「資本論」を読んだことがあります。
    数十ページ読み進めたところでやめました。
    主な理由はヤヤコシくてついていけなかったからです。

    ただ、読み止めた箇所は高橋先生と同じです。
    高橋先生のように、即、まやかしに気づいて我慢がならなかったのではなく、次のように考えました。
    「ダイヤモンドと石炭」です。
    どちらも地面から掘り出す鉱物です。しかも同じ炭素が主成分。
    確かに採掘や製品化に要する労力はかなり違うでしょうが、価格は桁違いです。何十万倍、何百万倍もの差があります。

    後に知り合った赤っぽい友人が「その労働に対する消費者の評価で値段は決まる」と言ってましたが、
    「需要.割る.供給」しか評価の拠り所はありません。何のことはない、これは市場原理です。

    腐敗

    1975年か1976年、1977年だったかもしれない。正確には覚えていない。

    環状七号線の豊玉陸橋から十三間通りを600メーター程下り、さらに左折して三つ目の四差路の近く、
    幅員10メータの道路沿いに築40年を超える木造の二階建てアパートがあった。

    一階の道路に面した一室に老婆が一人で住んでいた。
    いつも、カーテンの開け放たれた室内に、その姿が見てとれた。

    ある日、黒塗りの大きな乗用車が対向車線側の縁石に寄せて停まった。
    後部座席に男が三人。真ん中の中年男は両脇の二人に拘束されているようだった。

    車はしばらく停まっていた。中年男は道路越しに室内の老婆を見ていた。

    数日後、汚職を疑われていた大物政治家の運転手が自殺した。いや、正確には「自殺した」と報道された。

    権力に腐敗は付きものです。

    現在の政権の腐り具合は全体に蔓延していて上述の疑獄より酷いと思います。

    そろそろ、新しい選択肢が必要だと思います。
    総取っ替えです。ただし、後釜は勿論、左巻きではありませんよ〜〜。

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    処理水

    福島第一原発に貯蓄されているトリチュームを含む処理水を海洋放出すると日本政府が発表したことについて韓国が噛みついています。
    「汚染水の放出は全地球的な環境に悪影響を及ぼす」 、処理水ではなく汚染水と表現しています。

    あの〜、福島第一原発に貯蓄されている処理水に含まれるトリチュームは1000テラベクレルですが、30年かけて海洋放出する計画ですよね。
    あの〜、1999年以来、韓国は四基の原発から累積6000テラベクレルのトリチュームを海洋放出してますよね。福島の処理水の実に六倍です!!!

    日本のメディアは、どうして、これを、ろくに報道しないのでしょうか?韓国の横車は伝えるのに、、

    福島第一原発に貯蓄されているトリチュームを含む処理水を海洋放出すると日本政府が発表したことについて中国が噛みついています。

    あの〜、福島第一原発に貯蔵されている処理水は充分に希釈された後、海洋に放出されています。
    あの〜、中国は、福島原発から放出されている処理水の何倍!!もの濃度の処理水を長年!!海洋放出していますよね。
    中国の原発からのトリチューム放出量は年間で1000テラベクレル以上!!ですよ〜〜〜これは大きい声で言わなくちゃ。
    日本が30年かけて放出しようとしているALPS処理水に含まれるトリチュームと同じ量のトリチューム毎年、放出しているんですよ〜〜

    日本のメディアは、どうして、これを、ろくに報道しないのでしょうか?中国の横車は伝えるのに、、

    日本の処理水の海洋放出については、韓国や中国の難癖を闇雲に引用して批判的な論調で伝えるのに、
    福島の何倍もの濃度の処理水を長年垂れ流し続けている韓国や中国については、なぜ、スルーなのですか?

    韓国や中国の日本に対する「曲解した根拠」に元ずく悪辣な内政干渉を、それと指摘しないのは何故ですか?
    日本政府に対して「韓国や中国の質(たち)の悪い処理水放出に抗議するべきだ」と促さないのは何故ですか?

    注ー
    韓国は原子力発電所から2018年に360テラベクレルのトリチュームを海洋や大気中に放出したと発表しました。(在日韓国大使館の発表)
    福島原発事故の前までは、日本も年間380テラベクレルのトリチュームを海洋に放出していました。
    2018年までに9基が再稼働し、その年(2018年)のトリチューム総排出量は110テラベクレルでした。

    滑稽ではありませんか?
    韓国や中国は「一年に22テラベクレル以下に抑える予定のALPS処理水の放出」に文句をつけているのに、自国の、年360テラベクレル(韓国)、年1000テラベクレル(中国)、については頬かむりです。
    それどころか、日本の「福島原発事故より前の年間380テラベクレル」や「現在の年間110テラベクレル」にも触れていません。
    触れると自国のトリチューム排出量について突っ込まれて、一桁二桁下の「年22テラベクレル」に過ぎないALPS処理水放出に抗議する根拠が吹っ飛ぶからです。

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    ALPS

    ALPSによって「環境に負荷の大きい放射線を発する核種」を取り除かれた処理水は、
    充分に希釈して海洋に放出する計画になっています。30年をかけてです。

    ALPSで取り除き切れなかった(取り除かなかった)核種が話題のトリチュームです。

    トリチュームの発する放射線はベータ線(電子)で ガンマ線(電磁波)より遥かに透過力が低く、紙一枚で遮ることができます。
    動物(もちろん人も含む)がそれを浴びても臓器や組織まで到達しません。

    トリチュウーム1ベクレによる被ばく量は0.19マイクロシーベルトです。これはALPSで取り除かれた他の核種に比べて格段に低いレベルです。
    また、動物がこれを体内に取り込んでも、10日ほどで排泄されてしまって蓄積しません。

    放射線被曝による影響の出方は確率的で閾値がないと言われますが、
    トリチュームの場合、処理水排出によって環境に足し加えられるとしても、その影響は微かな構成要素として自然被曝に内包されるレベルだと思われます。
    それでも問題だというのなら、自然被曝そのものを放っておくのがおかしいでしょう?
    世界中すべての人々は100%放射線フリーのシェルター内で四六時中過ごさなければなりません。

    日本人の年間の自然放射線被ばく量は平均で2400マイクロシーベルトです。
    内訳をみると、宇宙線が390マイクロシーベルト、地殻や建材からが480マイクロシーベルト、体内に存在している放射性核種(カリウム40、炭素14)から290マイクルシーベルト、空気中に含まれているラドンから1260マイクロシーベルト。

    人類は、チンパンジーとの共通の祖先が過ごした大昔の、さらに遥か前から、この微弱な放射線を浴び続けてきたわけです。
    微弱な被曝には耐えられるように、それどころか、微弱な被曝は生存や健康に有利に働くように進化してきた可能性さえあります。

    充分に希釈されたのち放水用トンネルを通って1キロ沖合に放出されたALPS処理水はトンネルの出口から数百メーターも進まぬうちにトリチュームの濃度において周囲の海水と見分けが付かなくなってしまうでしょう。
    この海水を取り込んだ魚を人間が食べたとしても、なんの問題も生じないことは自明です。

    繰り返します、、元々毒性の低いトリチュームを充分に希釈して放出すれば環境に影響を及ぼしません。

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    核廃棄物処理

    ALPSによって取り除かれた「環境によろしくない核種」はどのように扱われるのでしょう。

    トリチュームと炭素14以外の放射性物質はALPS内の吸着材によって取り除かれますが、その後どうなるかというと、
    ALPS内にあって放射性物質を吸着可能容量まで取り込んだ吸着材は新たなものと交換されます。
    使用済みの吸着材は、まるごと高性能容器に収められ一時保管施設に輸送されて貯蔵されます。

    原子力発電所から出る放射性廃棄物と同じで、この後の扱いは決まっていません。つまり溜まる一方です。

    「煮ても焼いても食えない」、、私が原発に反対する理由の一つがこれです。早く何とかして欲しいものです。

    もう一つの反対理由

    原発に反対するもう一つの理由についても書いておきたいと思います。

    他の発電手段とは比べ物にならない「事故が起きた時の危険性」です。

    福島原発で大事故に至った原因は補助電源の不具合であって発電装置本体ではないという言い訳があります。

    これは免罪符にはなりません。
    原発の事故は極めて危険です。人々に深刻で長期にわたる健康被害を生じせしめる放射性物質が撒き散らされるのです。

    「安全」には他の発電手段より格段の重きを置かなければなりません。これは原発の生命線とさえ言えると思います。

    補助電源が防水処置も施されず津波に覆われる場所に設置されていた。そこは過去に津波に洗われた高さだった。

    この「安全に対する意識の欠如」が改められない限り、原子力発電には反対です。

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