パケットクラスターについて


パケットクラスターはパケット無線通信(注1)を使ってDX愛好家同士でネットワークを組み、情報交換を行うシステムです。
IBM/PC及び、その互換機上で走るこのソフトウエアは、1985年にパビリオンソフトウエアから発表され、瞬く間に全米に広まりました。

1980年台末には、JR1CTA倉田OMによるCQ誌上の稿で日本にも紹介されました。

そして1989年にJA1QWF上野OMがJA初のノードを開きました。

ついで、1年ほどのうちにJR1CTA倉田OM自身と筆者(JH1EVFノード)も運用を開始。
その後、JA1PEJ、JH1ORA、JH1GTV、と続きました。

JA1QWFのノードは半年間ホームQTHから運用された後、筆者のQTHにQSYし移動運用となりました。(注2)
自分のノードと併せて、しばらくの間二つのノードの面倒を見なければならず大変でした。Hi

筆者は四つのポートを全て使っていました。430Mhz、1.2Ghz、の他に、29Mhzと50Mhzにもポートを開いていました。
29Mhzのポートには海外局のアクセスもありましたが、パスが違うため日本国内には入感の無いDXスポットがアップされたりしました。

現在、日本では数十のノードが稼働し互いにリンクしています(1998年現在)。それぞれのノードには複数ユーザーの同時アクセスが可能で、全体では数百名のDX愛好家が常時ログインしています。


パビリオンソフトウエアから、このようなフォルダーに入って送られてきました。
上が日本最初のPacketCluster-node JA1QWF(Ver3.2-3、'89リリース)、
下が三番目のノードJH1EVF(Ver3.2-12、'90リリース)。
JA1QWFは二枚組、JH1EVFは一枚。懐かしの5インチフロッピーです。右端はマニュアルの中表紙です。


ノードを開いた当初パケットクラスターの知名度は極めて低く、また、従来のパケット通信にないマルチユーザーに起因する使い勝手の違いが利用者を面食らわせたのか、アクセス、ゼロの日も珍しくありませんでした。
ログインしてくれた局にパケットクラスターの説明を兼ねた歓迎メールを送ったり、マニュアルを和訳してコマンド説明の小冊子を作って郵送したりしました。
1993年に、Acer(IBM/XTコンパチ)とIBM/ATコンパチ機が共にダウンしたのを機にノードを閉じました。

初期のバージョンでしたが、高度な機能と豊富なサービスを備えており、けっこう遊ばせてもらいました。
オーヴァーフローによるハングアップなどトラブルは絶えませんでしたが、これは普段コンピューターを扱っていて経験する様々な問題と大同小異で、苦にはなりませんでした。
コンソール越しにシステムと対峙している事自体が面白く、いわばゲームのようなもので、トラブルもステージの一つです。
すんなり手放し運用が実現していたらJA1QWF-OMのように早々と飽きてしまったに違いありません。

既に道の拓かれた今、パケットクラスターノードの開設運営に然したる困難はありません。

ノードの空白地帯にお住まいで、DXに興味があり、仲間のために一肌脱ごうという侠気ある方は、試みてはいかがでしょう。
とくに、現在、青函海峡が文字通りネックになっていますので、ここを越えるリンクは歓迎されるでしょう。(1998年現在)


パケットクラスターにはインターネットを通じてもアクセスできます。N8ITのTCP/IP PacketGatewayです。
これはハム向けのサービスであり、免許を持っていない人のログインは例え違法にならないとしても、道義的観点からお勧めできませんし、面白くもないと思います。
具体的には、テルネットでtelnet//sapgate.freeway.net/につなぎ、コールサインをIDとしてログインします。さらにパスワードとしてE-Mailアドレスを入力します。プロンプトの後にDXとタイプすればKC8FTのパケットクラスターノードにつながります。
これは1997年にWEBサーフで発見?したルートで、今はどうなっているか判りません。
現在では、日本のP/Cネットへの(インターネットからの)アクセスも可能です。


実のところ、パケットクラスターはパケット通信のネットワークとしてはむしろ異端です。
在来のフォワード(転送)型のBBSシステムは、よりグローバルで、衛星通信を含むアマチュア無線に許された、あらゆる手段でリンクされ全世界をカバーしています。
秘話性はありませんが、メールは地球の裏側にでも届きます。
これはインターネットが一般に普及する10年以上前(1985年以前)からです。

最近(1998年現在)知ったことですが、ちょうどその頃(正確には1986年)KA9Q、Phil Karn氏がTCP/IPをパケットラジオで実現するソフトウエアパッケージを発表したそうです。
このKA9Qパッケージは時を移さずPRUG(Packet Radio Users Group)のOM達の手で日本向けにアレンジされ、TCP/IPによる無線ネットが走り始めたといいます。
PRUGは、この他にも「寺子屋シリーズ」等、日本の実状に即した独自のソフトウエアを多数公開しています。
このソフトウエア群はIBM/PC及びその互換機で動作しましたが、ハム仲間がこぞってXT/ATオタクづいたのは、そのせいだったのかも。
(たしか当時はOSがPC-DOSと呼ばれていて、MS-DOS/V3の次の世代あたりから一般的になったDOS/Vという言い方はまだありませんでした)
手に負えなくなったショップブランドのPC互換機が「IBMコンパチ機の作り方」の翻訳版と共に数台流れてきましたが迷惑な話で、その後遺症には世紀をまたいで苛まされました。


昔、パケットクラスターにHFでのWやUゾーンのQRVレポートを頻りに寄せるOMさんがいて、ノード局の間で、どうしたものかと問題になったことがあります。パケットクラスターにアクセスしてまで情報の取得を目指す局にとっては、14、21でのW、UゾーンのQRV情報は、無価値なばかりか、雑音ですらあります。

DXスポットインフォはパケットクラスターネットワーク全体に大きな負荷をかけます。ノード同士の全てのリンクで、また、全てのノードと、そこにぶるさがっているユーザー間で、パケットの交換が行われるからです。
これは往々にしてリンク切れ、ユーザーダウンの原因になります。
DXスポットインフォはパケットクラスターネットの主眼となるサービスですから半ば宿命的ともいえますが、クオリティーの低い情報でトラブルを招来することは避けたいものです。

ついでに書いておきますが、アナウンスもネットにとって「重い」サービスです。
長いメセージはDXスポットインフォと同等かそれ以上の負荷となり得ます。
アナウンスは必要最小限にとどめるべきで、挨拶などは言語道断です。

SH/Cをとってみると、「5NODES、、」とか、ひどいときは「1NODE、、」になっていることがあります。
胴体から切り離された「トカゲのしっぽ」状態です。
ノードリンクの幹線が切れると、このように悲惨なことになります。

リンク切れやユーザーダウンの度に、ノード局はリンクの回復、ユーザーの拾い集めをしなければなりません。「RECOVER」という、それ用のコマンドもありますが、大抵はそれだけでは不十分で、最悪の場合は、HDDの物理フォーマット−論理フォーマットを経て、パケットクラスタープログラムの再インストールが必要です。

大方のノード局は楽しみでP/C-NODEを運用しているので、これらの作業も正直なところ苦にはしません。

しかしユーザーは違います。P/Cのユーザーは変わり者だからです。どう変わっているかと言えば、、。
彼等は、「通信に関わるファクタそのもの」を楽しみとしているのではありません。つまり、パケット通信そのものを楽しんでいるわけではなく、別の楽しみ(DXing)を充実させるための道具としてパケット通信を利用しているのです。
ですから、ノードから落ちたり、落ちないまでも(ノード間のリンク切れにより)急に情報の入りが悪くなったりすれば、楽しむどころか、大いに不満でしょう。

アナウンスを多用する局はごく少数派で、その顔ぶれは、いつも同じです。彼等もアナウンスを流した後で上のような経験をしたことが少なからずあるはずです。
知らなかったでは済まされません。人に教わって知るのではなく、「気付いて」いただかなくては困ります。


記、1998年


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