oirantaki

おいらん滝

青梅街道下り、丹波山村役場入り口の交差点の先数キロほど、左手崖側。

  • おいらん滝にまつわる故事
  • 時は天正四年四月

    甲州金四十八万両を支えてきた黒川金山が閉じられることになりました。
    入り鉄砲出女が厳しく取り締まられていた当時の世情から、金山の賑わいを糧としてきた遊女達の処遇が問題になりました。

    挙げ句に、おぞましい一計が案じられました。

    流れの上に藤づるを結って設えられた座敷の上で夜桜見の宴が催され、女郎衆が座敷内に揃った処を見計らって、岸に結ばれたつるが切り落とされました。
    五十五人もの命が滝壺に消えたのです。

    理不尽に命を絶たれた遊女の死体が丹波山村の奥秋に流れ着き、以来、部落に不吉な出来事が相次ぎました。
    思いあぐねた村人衆が、五十五体の木像を金華山金竜寺に供え弔ったところ、平穏な村に戻ったそうです。

    参考−郷土研究(第五号)奥多摩郷土研究会刊−{p60〜p66}多摩川と多摩川上流地方の変遷(杉田芳春氏稿)

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