将棋は、理屈か?、計算か?

−意味ない人−

筆者が未だ荻窪園芸市場に仕入れに通っていた頃ですから、今から30年近くも前の話です。

荻窪園芸市場からほど近い下井草で、大木さんという方が自宅の一階を道場として開放していました。

営業目的の本格的な道場ではありませんでしたが、
大木さんの友人である和田さんを始め、かなりの強豪が時々顔を見せていました。

一番の常連は「意味ないねー」の先生でした。
相手の差し手を一々「意味ないねー」と揶揄するこの人、大会の類には殆ど出場しなかったので無名でした。
筆者も、その口癖ばかりが印象に残っていて、本名を覚えていません。
少々インチキくさい手も指す、外連味たっぷりの棋風でしたが、力はありました。
恐らくアマ四段と五段の間くらいの実力だったでしょう。
インフレ段位で悪名高い「新宿道場」では数十連勝を遂げたこともあったようです。

彼はタクシーの運転手でした。
遠くからもそれと知れる、道場前の狭い路肩に止まった屋根灯付の派手なツートンカラーは、
「サボタージュ中」を表す立て札みたいなものでした。
案の定、道場の扉を開ける前に例の呪文が聞こえてきます。

「意味ないねー」を連発しているオトーサンの向かいには、大抵、M氏が座っていました。
M氏は、この道場では二段でしたが、筆者の見るところ2級程度の棋力しかありませんでした。
当然、「意味ないねー」氏との対局では連戦連敗、、

駒を投じる度に、「あそこで、あーーすれば」「ここで、こーなれば」と結果論を並べて、悔しがります。
すると「意味ないねー」氏が、決まって一言、「将棋は理屈じゃないからねー」。
負け続けで頭に血がのぼったM氏は目を白黒させて口ごもるばかり、、

そこで、盤側の筆者が助け船、、
「将棋は理屈だよーぉ」


将棋の読みは、深く狭く/囲碁の読みは、広く浅く

しかし、、、本当に将棋は理屈でしょうか?

筆者自身、対局時の読みを振り返ってみると、専ら計算ばかりをしているように思います。
プロセスを辿る長たらしい計算です。
(注−筆者の読みですから穴だらけ。読みの品位は、本稿の課題外です)

理屈とは、

いくつかの概念で括り分けて、項目別に調べるとか、項目同士の関わり方を明らかにするとか、
それらを元に全体を体系化するとか、だと思います。
研究では、このように解析めいた事もしますが、対戦中にはやりません。

多分これは囲碁の読みです。

有力手が複数あって、そのいずれを着手しても点数は同じ、
囲碁は、このような局面の連続です。
横並び一線から最善手は選り出せません。
また、全ての筋を読むのは不可能です。
かといって、筋を特定して深く読んでも、
行き着く先には、また多くの甲乙付けがたい選択肢が待ち受けています。

となると、より大きな括りで大局を捉える方が効率的です。

将棋は真逆です。

中盤以降、局面の最善手候補はせいぜい二つか三つ、それが終局まで続きます。
しかし、投手の手元の数ミリの狂いが、ホームプレート上で数十センチに広がるように、
手順の些細な差異が、天地の隔たりを結果にもたらします。

検討に値する分岐枝は少数でも、一手一手の選択が重く、正確さを求められる、それが将棋です。

つまり、

手順や局面を多次元に切り分けて広く考察するのが囲碁の読み。
手順を縦割りにして、線を遠くまで辿るのが将棋の読み。

方や分析、もう一方は計算です。

「意味ないねーのオトーサン」が言ったことは正しかった?

以下、次回更新時に書き足します。

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